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面子が日産をおとしめた。  | 世界から見た日本
NISSAN-Z.jpg


「これはわが社の悲願である」

1977年に日産の代表取締役に就いた石原俊氏が1980年にあれほど北米で飛ぶ鳥を落とすほどの勢いだった DATSUN ブランドを全て廃止してブランド名を NISSAN に統一する事を発表その記者会見の席で述べた言葉です。


これまで、米国の人たちは、「DATSUN」をダッツンと読んで特に、独特のイメージを獲得していた。スポーツカーのフェアレディーZは、「ダッツン ズィー」と愛着を込めて呼んでいました。

快進社自働車工場(のちに日産コンツェルンに吸収)の田健次郎の「D」、青山禄朗の「A」、竹内明太郎「T」とSUN(太陽)を合わせたもので、早く走ることのたとえに使われる「脱兎(だっと)」に掛けている。 最初はDATの「息子」を意味する「SON」を用いていたが、ローマ字読みで「損」を連想するため、「SUN」に改められた。

そんな名前の馴れ初めは遥か昔。50年代後期からオーストラリアラリーに出場しての快進撃と、60年代に初頭にプリンス自動車から引き継いだ最高水準の技術、そして片山豊 が北米販売網確立の構想を勧めた甲斐あって10年近い歳月を掛けて不動の地位を築いたブランド名だった。

これを、捨てて、「ニッサン」という、馴染みがなく、発音しやすいとは言えないブランドに切り替えた訳です。メーカであるニッサンはTVコマーシャルで、「ニッサン」とブランド名をアナウンスするのですが、町の中古車屋のローカルなTVCMでは、中古車屋のセールスマンがニッサンの小型トラックを前に、「ダッツン ピックアップ ○○ドル!」と 叫んでいました。

アメリカの消費者は皆DATSUNが日産に吸収合併されたものだと思っていたらしいのです。

こんな状態ですから、トヨタやホンダの餌食にされてシェアを落として行きました。


何故?日産はこのようなリスクを背負ってまでDATSUNブランドを消滅させなければならなかったのでしょう?

1947年日産は激しい労働争議の真っ只中にあった。

興業銀行から経理担当常務として川又克二氏が、当時の日産重工業に入社した。激しくなる労働争議に対して、第二労働組合によって労働争議を終了させた。

この第二労働組合で活躍したのが、塩路一郎氏が日産労働組合組合長となり川又克二氏は社長に就任した。

これから20年間長きに渡り労働組合が事実上人事を行い、川又克二氏と塩路一郎氏の独裁状態で日産は経営が続くこととなる。

それはまるで北朝鮮の恐怖政治にも似ていて飲みの席で塩路氏の悪口でも言おうものなら、スパイが社内そこら中にいて、左遷や飛ばされた。また、わが身の保身のあまり、自分より優れた者は会社から追放されて行った。

そんなおり、1960年当時、『ファーザー・オブ・Zカー』丸山豊氏は原科副社長から

「おまえは邪魔にされているから、ちょっとの間アメリカに行ってマーケットでも調べて来い」

丸山豊、西海岸のロサンゼルスへ飛ばされる。

当時輸出部長だった石原取締役(のちの日産社長)の直系の部下であった川添という人物が、すでにニューヨークを拠点に派遣されていました。

「アメリカを東西から攻めていこうという構想を考えていたのでしょうが、この東西のなわばりがまた、意図的でした。アメリカの本土が50州ある中で、西は13州しかない。最初から、川添さんを現地法人の社長にする予定だったからとしか思えなかった。彼のほうが年上でもあることもあったでしょうが。」と、丸山氏は後に語っている。

実際にアメリカに行ってみると、こんなことをしていたら車は売れないということばかりフォルクスワーゲンをお手本にサービス重視で販売台数を伸ばし、会社の意向に反し、米国日産の社長になった。

今度は本社の意向を無視してZを開発してしまった。1970年に『240Z』で発売し、ヒット商品になり、ダットサンは1975年にアメリカの輸入車ナンバーワンになった。片山氏は『ファーザー・オブ・Zカー』と呼ばれるようになった。

石原 俊氏が思い描いていた川添氏の米国日産社長路線は絶たれてしまい、アメリカ戦略の手柄も丸山氏に持っていかれた。

1977年に石原俊氏が日産社長のポストに就いた時に塩路氏を

『塩路君』と呼んだ事が日産経営陣と労働組合の確執の発端となった。


社長を退任後もなお日産会長として日産の経営を牛耳ってきた川又克二氏が目の上のコブとなって、石原俊氏は塩路天皇と呼ばれ恐れられた男の不当な経営参入に苦しみ続けた。

この時、丸山氏はどちらの派閥にも属さずアメリカンドリームを手にいれて『DATSUN』の栄光に酔いしれていた。

しかし、丸山豊氏は1978年に日産を去る事になる。

これほど日産車のアメリカでの評価に貢献した人物であるにも関らず役員にもなれなかったのは当時、石原氏にも塩路しにも煙たがられていたからです。

丸山豊が命令違反で作ってきた『DATSUN』ブランドがNISSANを影の薄いものにしているという誤った判断もあった。

石原氏はその後、若者向けのスポーツカーだった『Z』購買層の詳しいリサーチも行わず値段を吊り上げ高級車にしてしまい、全米で年間50万台を売る人気のあった『Zカー』もまた葬り去られてしまいました。

塩路氏は1984年スキャンダルで会社を追われ、川又会長は同年に他界した。

かくして、石原俊氏は日産で全知全能のパワーを手に入れるに至った。

面子、エゴ、日産社長としての自己の力の届く範囲を拡大する事を一番に置き、顧客のニーズもイメージ戦略も一切お構いなしで行われた『DATSUN廃止劇』

この事が日産にもたらしたものは全米での販売台数No.1の座から引きずり降ろし、トヨタ・ホンダにそのシェアを奪われたうえに、毎年のように国内販売台数も激減して、トヨタに次ぎ2位だった日産は始めてホンダに抜かれ3位に甘んじることとなった。


これほどまで石原俊氏に合理的考えや、客観的、統計的な判断を失わせてしまい、感情だけで改革を行わせた原因はやはり、20年も続いた塩路帝国の恐怖政治の成れの果てではないか?って思います。

溜まった水は濁る

「これはわが社の悲願である」という感情論が会社を動かす事の怖さがひしひしと伝わるエピソードでした。

2003年、片山豊、『Zカークラブ』、『Zカー』を愛した日産社員、そして何のしがらみも無いカルロス・ゴーンが『Zカー』を復活させたのです。現在『DATSUN』ブランドのアメリカ市場復活も叫ばれている。

ゴーンには今もまだ、ベビーブーマー達の中で燻っているDATSUN Zの炎が見えていたのでしょう。2002年にはZ33型として復活し、現在350Zサンディエゴでもかなり走っているのを見かけます。
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テーマ=働き方 - ジャンル=就職・お仕事

【2006/03/03 18:51】   トラックバック(0) | コメント(6) | Top↑






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コメント
リーダーが得てして、トカゲの尻尾きりで責任逃れをしてしまうケースが多いですよね。自分が腹を切る覚悟でしたらもっと違う方向に動くのかなって思ってみたりします。実際には全ての統括責任は会社なら社長にあり、うまく機能していなければ社長の責任なのですからその辺の責任の所在がはっきりする世の中がベストですね。
【2006/03/04 09:16】 URL | coolcuts [ 編集] | page top↑

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ビンゴさん。感情を持つのは人間なんだから仕方ない事だと思います。でも多くの人の将来に関る決断をするときにまできちんとした判断ができないことが問題なのだろうと思います。ここで示しているのはやはり労働組合と幹部の存在だけではトップ同士が結びついた時にうまく機能しなくなるということだろうと思います。HRやビジネスコミュニケーションの大切さを感じます。
【2006/03/04 09:14】 URL | coolcuts [ 編集] | page top↑

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coolcutsさん、本当によくご存知です。なるほど、そういう事情があったのですね。こういう事例を見るにつけ、組織の問題、権力者のあり方が、運命を大きく変えることがよく分ります。やっぱりリーダーの責任は重大ですね。願わくば今の世界のリーダーたちが日産の愚かなリーダーのようでなければいいのですが・・・。
【2006/03/04 07:44】 URL | Teduka [ 編集] | page top↑

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coolcutsさんが描いてくださる歴史やマーケットに関する記事を読むたびに、世界や社会や企業を動かしているのは、「人の感情」だと想います。つくづくと、自分の感情は受け止めるけど、決して振り回されないぞ!と思うのです。
【2006/03/04 07:09】 URL | ビンゴ [ 編集] | page top↑

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スカルさん今日は。実はぜんぜん車には疎いのですが、こんなに長い歴史の中で男性のステイタスシンボルであり続ける車と、それから米国自動車産業は確実にベビーブーマーに見られるような人口の推移を推し量りながら発展して来た業界なので、あれが流行ったからっていう手法で戦略だてることが当たり前だった感覚を脱する為に詳細を調べているところです。日産はこの後の70~80年代のサニーも90年代のシーマもかなり右往左往しながら作った内容とかあって本当に面白いですね。会社が無いほうがきっとあっさりヒット商品を出しやすいのでは?っていうぐらい会社の以降に反して作った車がヒットしています。本当は会社が動向をきちんと読めていて、会社主導で成功物語があれば、片山豊さんのように不当な評価を受ける人はいないのでしょうけどね。それにしてもムスタングは伝説に残るヒット車種ですよね。
【2006/03/04 03:15】 URL | coolcuts [ 編集] | page top↑

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coolcutsさん お詳しいですね 車関係の歴史

私もこのZはマスタングと最後まで競合してたんです
進化を続けるZとレトロ路線のマス

結果レトロ路線にしたんですけれどね
S30の頃からZはファンですよー
【2006/03/03 19:47】 URL | スカル [ 編集] | page top↑

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