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出店第一プラン 担保作り作戦  | 美容道
16歳で思い描いた20年越しの夢を叶え、2005年の6月に渡米した。

ひと時の幸せと達成感。

しかし、夢は叶えてしまうと、無くしてしまう。 


そんな当たり前の事を知らずに生きて来た僕は、今までこの目標に向かってがむしゃらにやってきた反動と、希望に満ちて、想像していたアメリカ生活と車も無く何処へも一人で行けない現実の生活の挟間で、強い脱力感が襲った。

いわゆる『ひきこもり』にちかい状況だった。

だから “アメリカで美容師になる” という次なる目標を掲げ、その為にひたすら全力を尽くした。

でも、実際美容師の仕事を再開する為の免許取得作業の情報がなかなか集まらない苛立ちが続き。

とうとう日本で貯めた貯金を使い果たしてしまった。

必要な書類を全て揃え、カリフォルニアのBoard of Cosmetlogyへ送付した後。

なかなか試験内容と試験日についての返答が得られなかった。

生活は貧しくなる一方だった。

そして2007年の6月、ようやく試験日の告知と試験内容を書いた書類が届いた。

なんと試験日は1ヶ月後!

絶望感にさいなまれた。

そんな急な話で受かる訳が無い。。。。。

そんな事を言ってる場合では無い。妻と娘を食わせて行かなければ。

毎日死にものぐるいで勉強した。 何時間もラップトップに向かい試験内容の模擬テストを受け、必要な知識を整理して行った。 ラップトップが熱で焼けてこわれてしまう程だった。

そして、なんとか7月の試験で美容師免許を取得

次なる作業にかかった。 ”働く美容院を探さなきゃ。”

ベネフィットと保険と教育の整った3つの美容院を選択。一番最初に連絡を取った美容院のオーナーが履歴書を見て連絡してきたので、そこのテストを受ける事にした。

まずは面接、そしてワークトライアル、それで皆に認められれば技術テスト。

3人のモデルを連れ来てカットのテスト。

それぞれの段階をパスして就職が決定したのが9月の事だった。

最初週に一回の練習日から週三回の練習日になって、それぞれの日に3人のモデルを用意する必要があった。

アシスタント業務をする傍ら街頭に立って、たどたどしい英語でモデルハントに明け暮れた。

言葉が不自由だから、誰よりも早く動き、誰よりも沢山働いた。

練習日に1日たりともカットモデルを欠かさず、合計130人のモデルをカットして、他の人が1年かける内容を3ヶ月で終わらせ、スタイリスト昇格テストを受ける資格を得た。

ショート、ミディアムレイヤー、グラデーション

それぞれのカットを合格してフロアーに出る権利を得た。 グラデーションは2回も落とされたので3回も受けなければならなかった。

1月からマーケットストリート店でスタイリストデビュー。

60%のブック率、50%のリターン率、をキープ3ヶ月でスタイリスト1からスタイリスト2に昇格。

その後3人のモデルを用意して、コミッション取得試験を受けた。

”アメリカで美容師になる” という目標を果たしたので、”お店のトップになる” ”美容院を経営する” という目標を立てた。

半年後には70%以上のブック率、60%以上のリターン率を三ヶ月続けて二段飛び昇格 Top Stylistになった。



その頃から、家の購入(担保作り)→美容院経営という計画を立て始め、マイホーム購入に向けて悪戦苦闘した。

インベスター達のキャッシュでの買い占めに、僕たちのオファーはことごとく却下されて行った。
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テーマ=美容のお仕事 - ジャンル=就職・お仕事

【2013/02/06 23:36】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






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