今年も感謝祭がやってまいりました。
思い起こせば7年前の冬の日。
僕はアメリカに来て初めての感謝祭を迎えました。
その意味も解らず。
皆がこの日を心待ちにして、あちこちから友達、親戚が集まって来る。
その ”心” も解らず。
ただただ、つぎから次へと義理の弟の家に集まって来る人々の中に埋もれていました。
右を見ても、左を見ても、全く知らない人達。
笑顔まんまんで全ての人に挨拶をして話しかける妻を、隣にいても全く知らない人のように感じはじめていました。
不思議な気分でした。 僕がたった一人、この群衆の中にいる事が・・・・・。
妻は、日本にいた時、僕とおんなじ気持ちだったのかな?
そして7年後。。。。
サンクスギヴィングデーの見知らぬ群衆は『家族』になりました。
子供に何度も、『おばあちゃんに買って欲しいのはiPod じゃ無くてiPadだよね?』と聞き直す母親。
『違うよiPodだよ!』『iPodならもう持ってるじゃない? iPadでしょ?』『新しいバージョン』
この会話の中から今、この子のお婆ちゃんが何を思っているかが解ってしまっている僕。
それぞれの家族の間柄も結構、情報がインプットされている。
だから、そばで笑ってる。
笑ってて、それを悟られても全然怒られないってのも解ってる。
多分冗談で
『ステイシー、本当は君がiPad 欲しいんでしょう?』
なんて言ってみようかな? なんて意地悪に思ってる。
中国人の家族がいる。
『どこでつながってるの?』 みたいな感覚で眺めていた次期があった。
彼はいつも小さな一眼レフを首に欠けて写真を撮るのが好き。
そして彼の母親は料理がとっても上手だから、毎回妻と料理の話をしている。
その旦那はシャイなのに、一生懸命皆に混じろうとして、へんな質問をする。
ブラックフライデーのセールの広告を広げて見ている僕たちに
『あんたたちはまた沢山お金を使う事ばかり考えてるんだね?』
その数分後、彼はそのテーブルの椅子を一つを占拠してしまった。。。。
挨拶では手をしっかり握って、信頼関係を表現するけどその時以外は、まるで僕と話をしようとしない男とか、
バタフライのように、グループからグループを飛び回ってケラケラ笑っているのは、遠くから来た親戚。
あまりにも注意散漫なので、スライディング式の網戸を突き抜けてしまった。
到着早々僕は、お決まりのように、ここの家の主である義理の弟にすすめられてたビールを一本開け、テーブルに座って飲んでいる。
この男が僕の隣に座って酔っぱらいながら話をする日が来るのはあと何年かかるのかな?
なんて思いながら、たまにヒラヒラと飛んで来る娘の頭をなでてやる。
相変わらず妻は僕の隣に座ってる。。。。毎年、毎年、同じ義理の妹夫婦の目の前で。
この2005年のターキーを食べた家を持っていた彼らの目の前で。
今はその家は誰か他の人の物。
でも、彼らには家族がいる。
僕たちにも目の前に座っている彼らがいる。
隣に座る妻がいる。
庭をかけずり回りながらも、いつも視界のどこかに娘がいる。
サンディエゴの秋空の下で、
幸せはこのつながりの中にあると実感した。
次の日、この幸せをくれた妻に感謝のメールを打ってみた。
そしたら、『またなんか買いたいんでしょう?』と返事が返って来た。
この人にはかなわない。。。。。
Happy Thanks Giving Day!
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