Top | RSS | Admin
グレート・ギャッツビー  | Books
偉大なるギャッツビーは

    西部の貧しい家で生まれ育つが、軍人として成り上がる

         やがて裕福な育ちで美しく魅力的な女性、デイジーに出会った。


しかし、その身分の違いから彼女は彼の元を去り、金持ちの男と結婚をする。


【アメリカン・ドリーム】とは一代で巨万の富を成せる可能性をあらわす言葉である。


若く野心の強かったギャッツビーは(デイジーと結婚できるならあと他には何もいらない。)そう思っていた。

でも、デイジーが下した決断は『リッチガールはプアボーイと結婚しない。』だった。

デイジーを失った時、彼がするべき事はただ一つ。


成り上がる事!


アメリカに暮らせば少しずつ見えて来るオールドマネーの存在。 その流れをたどれば東部に行き着く。

アメリカが東部から始まった以上、その地位とお金の流れはヨーロッパからもたらされ、東部から西へと供給されていった。 しかも20年代のアメリカではなおさらの事。そんな東部コンプレックスをチラつかせる一方で、読者には『真実の幸福とはいったい何で有るか?』 と問う。 この設定は太平洋の西の果てからやってきた僕にとって、切実なるテーマでもある。(*旧ブルジョア階級からの富の流動について言っているので、加州のゴールドラッシュでの成り上がりはその含みでない。)

もしかしたらこれから一生お金と地位の為に嘘を突き通して生き続けるデイジーよりも、自らの成功の頂点でデイジーと再会し、彼女との良い思い出だけを胸にしまい、この世を去った、偉大なるギャッツビー、貴方こそが幸福の象徴なのかもしれない。


だとしたら、彼が手に入れた巨万の富と御殿のような屋敷はただの物体でしかなく・・・・・・・


彼がプールの浮き輪の上で射殺された時に抜け出た魂こそが、彼の壮絶なる人生の中で推し量られるべきものなのでは無いだろうか?


彼が犯した全ての罪も、虚栄の湖の桟橋に照らされる青い信号の向こうのデイジーが住んでいた屋敷に向かって発せられたラブコールだったとしたら・・・・・・・・


彼の魂を蔑む事を誰ができよう?
あの時デイジーは君に言ったね、『貴方は全てを望みすぎるのよ!』

あの事故の夜、全てを失うはめになってもデイジーを守り抜こうと覚悟していた。

彼が追い求めたのは “デイジーの愛” のみだからだ。

しかし、彼は一瞬にして全てを失った。 巨万の富も、屋敷も、そこを埋め尽くして踊り明かした招待客達も・・・・・そして・・・・デイジーさへも・・・・。


最後にはニックとの友情が、そして父の息子に対するだけが、黒ぶち眼鏡男の良心が・・・・・


そして彼自身のデイジーに対する愛の軌跡だけが。 彼の死骸の傍らに残った・・・・



野心に燃えた偉大なるギャッツビーよ! それで充分じゃないか。

君は幸せだったよ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメリカへ移住して早5年半の歳月が過ぎようとしている。

渡米に当たっては、アメリカ人の本質を計り知るためにアメリカ文学にいくつかチャレンジしているが、忙しさと日本文学のほうがやはり自分にはしっくりくるのか、あまりその数は 多くは無い。

ヘミングウエイの【老人と海】にはものすごく感銘を受けて、J.D.Salinger の【ライ麦畑でつかまえて】至っては世界中で65億部も売れたという真意が掴めない程、その内容にがっかりさせられた。

しかしながら、確実に 【The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)】 を読み育った影響は、アメリカ人の文化のあちこちにあらわれているというという実感が無いでもない。だって、この本を読んですぐさま思い浮かんだのが、スタンリー・キューブリック監督の『時計仕掛けのオレンジ』『Quadrophenia』”怒りのジェネレーション”を描いた作品群だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、さて、今回読んだスコット・フィッツジェラルドの【The Great Gatsby】という小説。
これは(ある男の純愛物語)とだけ聞き知っていた僕にはいささか意外な展開で物語は進んで行った。
しかし、その表現力の豊かさにはほとほと驚かされた。

できるだけ形容詞を使う事無く登場人物の心情を表現しようとしたヘミングウエイとはまったく逆の手法で、彼がしたためる比喩表現は脳裏に登場人物の【心情】【ステイタス】【趣味思考】等色々な情報を一瞬にしてフラッシュバックのように読者に叩き込む力を備えている。 それも信じられないほど美しい描写で。
でも、同年代を生きた作家として、スコットが一番敬愛していたのがヘミングウェイだったらしいから解らないものだ。

だけど、僕が『ある男の純愛物語』と思い込んで手にしたこの本は、実は資本主義の世の中の一番薄情な部分をさらけ出し、人々が織りなす軽薄きわまりない日常を描き続けた。

ギャッツビーのデイジーに対する美しい情を、まるで雲間から差し込む淡い光のように描き。

それが永遠に続くかのように思わせておいて、一瞬のうちに名声も、その命をも奪い去ってしまった。


これを僕がまだ日本に暮らしていた頃に読んでいたなら、現実とまったく180度異なる小説の世界に、エキサイトメントだけを求める娯楽として受け入れただろう。少なくとも日本の一般の人々が感じている生活感で言えばの話だが。

だけど、アメリカンドリームという希望の下で、資本主義を野放しにしてしまっているアメリカ社会の中では、なまじっかフィクションめいた世界観に留まらず、ある程度現実味を帯びているから震えが止まらない。


貧富の差が織りなすドラマがそこにある。


人が結局のところこの世の中で求め続けているのは【人の心】に他ならないのではないでしょうか? 全てを手に入れたギャッツビーがたった一人の女性の心を手に入れる事が出来なかった。というこの物語の悲しみの根の深さは、僕たち資本主義の世の中に暮らす人間の、苦しみの本質で有るかも知れない。

だからこそ、【富】と【名声】という吸引力を求め続けながら、同時に一握りの真実の愛と真の友情を求めて止まないアメリカ人を深く共感させ、広く読まれる作品に至ったのだろうと思う。
スポンサーサイト
------------------------------------------------------------

テーマ=文学・小説 - ジャンル=小説・文学

【2010/12/14 07:19】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






<<メキシコからの移民 | Top | compassion (慈悲)>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://coolcuts.blog6.fc2.com/tb.php/1968-acd3f02c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| Top |