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ニューオリンズの記憶  | アメリカ移住
サンディエゴへ移り住む前にはどちらに住んでいたんですか?

出身はニューオリンズだけど、色々な所に住んだよ。海兵隊にいたからね。

それでサンディエゴに? 故郷へ帰る選択は無かったんですか?


無いね。 



妻と結婚を決意した時に故郷へ彼女を連れて帰ったんだ。

1964年頃のニューオリンズさ。 

白人以外はカラードって呼ばれ。 バスに乗るのも別。 おばさんが経営していたレストランだって、白人は表玄関から入って、カラードは皆、路地裏から小汚い小さな扉から出入りするんだ。

そこへフィリピン人の女性をつれて帰って来た僕に家族は、

『ブラウンをつれて帰ってきやがって!』

って言い放ったきり、誰一人口を聞いてくれなかった。

望まれない結婚をした私たち夫婦が二人揃ってニューオリンズへ帰る事は無かった。



そんな事情があったんですか・・・・・・。



あのう、、、、、一つ質問をしてもいいですか?


何?


そんな環境で育った貴方がどうしてアジア人に偏見無く接する事ができて、しかも結婚まで考えられたのか?



ああ、そうだよね。 

あれは~私がまだ10代の頃だった。 

パトカーの横に3人の警官が立っていて、その横に手錠をかけられたアフリカンアメリカンが立っていた。


彼は小便に行きたかったようで、しきりにトイレに行かせてくれって頼み込んでいた。

でも、警察はそれを許さなかったんだ。

どれだけ時間が過ぎたか、私は一部始終を見ていたんだが、

もう、我慢しきれなくなったんだろうね、どんどん彼の表情は悲痛な表情に変わっていって、

それで、全身が震え始めた。 

次の瞬間、とうとう彼はその場で漏らしてしまったんだよ。 ズボンをびしょびしょに濡らしてね。

そしたらな、警官達は彼を見下したヤジを飛ばしながら、手錠をかけられた男の腹や、背中、顔、頭。

ありとあらゆる場所を蹴ったり殴ったりしてリンチをしたんだ。


まだ若かった私にはどうしてもそれが正しい事だとは思えなかったんだよ。

と、いうよりかショックだったね。 人間があれほどまでに狂人になれるなんて。

育った環境の影響があったとしても、その出来事は、僕の心の中に ”怒り” を帯びた感情を植え付けたんだ。

目を閉じると今でもあのときの光景が浮かんで同じ感情が蘇って来るよ。


だから、私がフィリピン人の女性を愛して結婚を決意した時、家族がなんと言おうとその決意は揺るがなかった。


私にとっては至極当たり前のあり方なんだよ。 


人権問題以前にね。



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テーマ=アメリカ生活 - ジャンル=海外情報

【2010/09/27 13:08】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






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