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Thanksgiving Day と 全米追悼の日   | アメリカ移住
TheTurkey.gif

今年もThanks Given Day が過ぎてクリスマスまであとひと月となりました。

僕たちは親戚の今回も親戚の家に集まって、七面超にグレイビー、ハム、マッシュドポテト、スイートポテト、スタッフィング、クランベリーソースにパンプキンパイetc.....の感謝祭伝統の料理を食べました。


1606年に イギリスのバージニア会社がアメリカ大陸に最初の植民地開拓民を送り込んだ。

 当時既にその周辺には約2万人のネイティヴアメリカンが暮らしていた。

1607年春 ヘンリー岬に到着した開拓民は、その地を統治していたインディアン、ポウハタン族にちなんでポウハタン川と呼ばれていた川を、イギリス国王ジェイムス1世に敬意を示し、ジェイムス川と呼んだ。

以前怒ったスペイン人入植者とのトラブルから、ネイティヴアメリカン達はイギリスの入植者に友好的ではなかった。

飢えと寒さで入植よりわずか半年で104人の入植者の半数が死滅した。

ジョンスミスの指導のもとで全力で開墾を進めたり、ポウハタン族との交渉で食料の確保に努めたが、

1609年には新たに400人の入植者が到着した時も、現地は依然として食糧難を極めていた。

しかも、ジョンスミスが指導者になると、それまでインディアン達と友好関係を結ぶ事を重要視していた開拓民達は、銃器による強行姿勢へと態度を変化させた。

とうとう、ポウハタン族の怒りを買い、インディアンの奇襲攻撃を受ける結果となった。


第1次アングロ・ポウハタン戦争へと突入する


幸いにもジェイムスタウンで奉公人として働いていたチャンコというネイティヴの青年が街の住人に奇襲攻撃の計画をあらかじめ伝えていたため、多くの人命が助かったが、それでも、入植者人口の約1/3にあたる347人が殺害された。

爆発事故でけがをしたジョン・スミスに変わって、デラウエラ男爵が指揮を取り、アイルランド方式の戦術で、ネイティヴの田畑や家屋を焼きネイティヴ・アメリカンに対しての復習は続いた。

その後、ジェイムスタウンで囚われの身になっていたポカホンタスがタバコ農園の農場主ジョン・ロルフと結婚し、ポウハタン族と入植者達は和平交渉の席に着く事ができた。

ポウハタン族にとっても入植者の存在は、他の部族に対して優位に立てる金属の入手先として重要だったというのが交渉の席につかせた理由であった。

入植者には平和な日々を、ネイティヴアメリカンには自分たちの土地を侵略されない生活を。


それぞれが、求めるものを守り合う交渉の席で

入植者は200人のネイティヴ・アメリカンを毒殺し、そしてさらに50人を殺害した。

次期酋長となるオプチャカノフもこの席に参列していたが、彼は命からがら逃げ出す事ができた。


それでもしばらくは平和な日々が続いたが

ジェイムス・タウンがイギリスの領地となり、イギリス皇室の支配が次第に強くなってくると

植民地化が進み、侵略行為は激しくなり、ネイティヴ・アメリカンに対する搾取が次第に度を増してきて、我慢の限界に達したネイティヴ・アメリカンはとうとう反乱を起こした。

当時500人の入植者が殺害されそのとき指揮をとっていたのは、以前入植者に殺害されかけたオプチャカノフだった。

1644年、第2次アングロ・ポウハタン戦争の勃発でした。

しかし、この時点でかなり人口が増加していた入植者側は、オプチャカノフを捉えて殺害した。

オプチャンカノフの死亡は、かつてこの地において強大な力を誇ったポウハタン王国の衰退と、ヨーロッパ人入植者の時代の到来を意味した。


ポウハタン族は土地を追われ、ある者は二度とこの地には戻らなかった。


1620年に彼らがアメリカ大陸に来た時点で、ニューイングランド周辺にいたインディアンのうち約90%はヨーロッパから持ち込まれた新種の病気により死亡していた。

史実の中では、人口が激減していったネイティブ・アメリカンの家屋や遺留品が入植者達の冬超えに大変役に立ったというのが実際のところで、ネイティヴ・アメリカンと入植者が友好関係にあったという事実はいっさい無いとも言われている。

現在のインディアン達にとって「感謝祭」は、この日を境に先祖達の知識や土地がヨーロッパからの移民達に奪われ、「大量虐殺の始まりの日」




ネイティブ・アメリカンの子孫達はThanksgiving Dayを、全米哀悼の日』と呼び、喪服を着て虐殺された先祖達に祈りを捧げている。
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テーマ=アメリカ生活 - ジャンル=海外情報

【2009/11/29 18:58】   トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑






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コメント
ロベルトねんきうセブンさん。
そうでしたか、お宅も国際結婚ですか。 日頃は『なんだこんな国!』と、言いながら
夫婦間で国際摩擦が起こると、ついつい自分の生まれ育った国の考えの方が正しい! と言い切ってしまったりして。 意固地になってしまったりします。

『コンチクショウ!ありがとう』ですよね。 

ねんきうさんのブログはコメントの仕方が解らなくて何も書けませんでしたが、あの記事はスーパーでしたね。
【2009/12/01 15:37】 URL | coolcuts [ 編集] | page top↑

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こんばんは。
深い内容ですね。
我が家も日韓夫婦なので、お互い歴史の捉え方について話したりします。
歴史の中の真実は一つなのですが、捉え方次第でまったく違うものを生み出すので、本当に恐ろしいです。
なので奥さんとは、「あなたは(もしくはあなたの国は)こうあるべきだ」というのは禁句です。
【2009/11/29 22:09】 URL | ロベルトねんきうセブン [ 編集] | page top↑

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