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窮地の際のコミュニケーション  | アメリカ移住
私がサンディエゴにやって来たのはね、1995年の事だよ。

あるビジネスのいい話があってね。

〔1995年って言えば不況の真っ只中ですね〕

ああ、そのとおり。ちょうどリセッションの後だったよ。

あの時は折からの不況で倒産する会社が多かったから、多くのビジネスチャンスがゴロゴロ転がっていたんだ。

私はシカゴでコンピューター関連のエンジニアとして働いていたんだが、妻や家族の反対を押し切ってLAへ移り住むことに決めたんだ。


最初に視察したところはフランチャイズのペイント会社でね、そこを案内してくれた仲買人が『サンディエゴにもっとやばい状態の会社がある』っていうから一緒について見に来たんだ。


そこを実際に仕切っていたオーナーらしき男がね、自分を雇ってくれるのを条件に格安でこのビジネスを引き渡すって言うんだよ。


当たると感じたんですか?


ああ、感じましたね~ビジネスチャンスを。


彼は内装や外装に気を使っていなかったし、ぜんぜんその商材に見合った価格で商品を売っていなかったんだ。


さっそくおうよそ全財産をはたいて、ペイント会社を私が引き継ぐ事にしたんだ。


〔すぐにうまくいったんですか?〕


とんでもない。 最初の2年は本当にビジネスが起動に乗らず苦労したよ。


何度も何度も金策に走って、その都度いろいろな人に頭を下げてね......


そんな事が続いて、もう、逃げ出してしまいたいって思った事もあったよ。 


だけどね、私が幸運だったのは、私よりもこのお会社に思いいれが深く、会社の存続に執着した男が私の部下でいた事だね。


ほら、さっき話した私の会社の元オーナーさ


彼に何度も説得されて、その状況を乗り切った3年目に急に商売が右肩上がりになって来たんだよ。


〔サンディエゴは住宅供給量が急激に増えた頃ですね〕


そのとおり。でも、そんな事は私がここへ入ってきた時にはぜんぜん誰も知る由もなかったし、もちろん私もそんな予測はしていなかった。


ラッキーだったね


〔あの頃はまだツインコンドーが出来ても誰もそんなものが売れるわけがないって思っていた頃ですからね〕

そうだね、私の父はものすごい始末屋でいつも人が部屋を出て行くだびにその部屋の電気を消して回るような人だった。商売はしていたが、すごく慎重で結して無理はせずって感じでね。


私も始末屋なところは親父に似ているけれど、どういうわけか金銭的に無鉄砲な一面があってね、10ドルがポケットにあるとすぐに使い果たしてしまう。そんな性分をいつも彼に叱られたもんだよ。多分そんな性分が無ければこんな賭けにはでなかっただろうね。


でもね、苦しい時につくづく金銭的に苦労をしたから親父が言っていた事も本当に理解できるよ。今はね・・・・・・・・


それに、あの時ほどコミュニケーションの大切さを思い知ったことはないな


借金をして返せなくってもね、きちんと相手と正面を向いて、事情を話して、きちんとコミュニケーションさへとっていれば、

相手も人の子、解ってもらえるものだよ。
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テーマ=お仕事 - ジャンル=就職・お仕事

【2007/06/01 18:08】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






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