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ガンジーのヒーロー伝説について  | アメリカ移住
ある日インド人の男性がお店にやってきた。


『今度ね、この近所にインド料理のお店を出すから、今工事中なんだよ。』



そんなこんなで話しはやはりインドのあの有名な映画

『ムトゥ踊るマハラジャ』 へと進展

20070115021135.jpg


『インドの映画は面白いね~、かなり貴重な娯楽の一つなんだなってすごく感じますよ!』

『以前はそうだったけど、最近ではそれほどでもないよ。』

そして、アメリカの家電メーカーのお客様窓口インド移転、とアメリカのレイオフの話しになった。

『ああ、賃金が安いからね~インドは、、、ほとんど十分の一だね。』

『ところで、いつアメリカへやってきたんですか?』

『12年前さ。今ではサンディエゴで4店舗のインド料理のお店を経営してるんだ。』

『でもどうしてそんなに英語が流暢なの?』

『インドはやたらと言語が多くてね登録されているだけでも100以上は確実にある。だからほとんど英語が公用語になっているんだよ。』

『あれ、そのことガンジーで視て知っていますよ。』

『あ、あの映画ね・・・・・』

Gandhi.jpg




ガンジーはやっぱりインドでものすごいヒーローなんですか?』


『ヒーローという人もいるけれど、そうじゃ無いっていう人もいるね。 僕はそうじゃない派だけど・・・・・』


『僕は映画や歴史の教科書でイギリスの植民地からインドを開放した中心人物としてしか知らないのでその辺は詳しくないんですが・・・・・・』

『インドのイギリスからの独立がガンジー一人の力で成せる訳も無く、その他大勢が戦ったからこそ成就した運動だったと僕は思っている。 当時新しいリーダを立てて国を統治しようとしたガンジーが保守派の反発を買って、パレスチナ問題に発展した要因にもなっているからね。 なんともいえないよ』


『そんな事があったんですか・・・・・・でも日本もヨーロッパの大国から植民地になる事を免れた国の一つだけど、本当に微妙な国内のバランスがその運命の分かれ目ですよね。』


『そうだね・・・・・ほんとうに微妙なバランスだと思うよ・・・・・・・』
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ガンジーはヒンドゥー教徒だけでなくイスラム教徒にも影響を与えている。1947年8月のインドとパキスタンの分離独立の前後、宗教暴動の嵐が全土に吹き荒れた。ガンジーは何度も断食し、身を挺してこれを防ごうとした。しかし、ヒンドゥー原理主義者からはムスリムに対して譲歩しすぎるとして敵対視された。1948年1月30日、ガンジーはニューデリーのビルラー邸で狂信的なヒンドゥー原理主義者(と一般に知られている)ナートゥラーム・ゴードセー(नाथूराम गोडसे)らによって暗殺された。

3発のピストルの弾丸を撃ち込まれたとき、ガンジーは「神よ」(「ヘー ラーム हे राम」)とつぶやいて事切れたという。国葬が行われ、遺灰は、ヤムナー川とガンジス川に撒かれた。

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【2007/01/15 02:35】   トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑






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【2007/01/19 12:41】 | [ 編集] | page top↑

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【2007/01/19 12:33】 | [ 編集] | page top↑

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