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勝の外交  | 竜馬に学ぶ
第2次長州征伐に必死で応戦する長州が全線全勝を見せる中、小倉城が落城した知らせを聞いた時の徳川将軍 慶喜 は。 長州との休戦交渉のため勝を使いに出します。


行けば必ず刺客に命を狙われる違いない状況の中、勝は供もつれずに宮島入りをした。


『外交には羽柴筑前守当時の秀吉のやり方がよい』

と 勝 海舟 は思い、常々実践していたからです・・・・・・



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秀吉が筑前守のころ、山崎で明智光秀を討ち、柴田勝家を負かし、さらに越前に入り、府中城の周囲を固めた。


府中城の城主前田利家は秀吉とは幼い頃からの友人でありながら、たまたま敵対する大名の配下の家柄のため、今では互いに刀を構え軍をする立場になっていた。


秀吉はこれを外交によって味方に繰り入れようと考えていた・・・・・


秀吉は供も連れず、ただ一騎、府中城の城門まですすみ、自分に照準をつけている鉄砲群にむかって、

『撃つな、撃つな』

と白扇をあげ、


『わしは筑前ぞ。又左(利家)はいるか。物語などせんと思って参ったぞ』

と言い、あきれる城兵をしりめにするすると城門から入り、利家と対面し、戦わずして利家を降してしまった。


つまりこう言う事らしい、、、、、


府中城の門前で互いが幼少の頃よく遊んだ頃のように。。。。

『又左君、あ~そ~び~ましょ!!』

と、やったニュアンスに近いのだろう。


これは

赤心を推して他人の腹中におく
心から人を信じて、まごころをもって接することのたとえ。


誠にこの精神が無ければ成しえぬ事だろうと思う。

利家がもし部下に、『引き金を引け!』と命じていたとしたら・・・・・


羽柴の天下統一の野望もそれまでだったでしょう。





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もちろん単身で乗り込んだ勝を刺客達は殺生する事なく、休戦交渉を彼は見事に成し遂げた。


真っ直ぐ確信を持って人の心を信じると言う事は、ある意味自分が相手に対して思い描く心情に責任を持たねばならないと言う事なのだろうと思う。 

凡人の僕にとって今はまだわが子以外それは成しがたい事だけれど、いつか秀吉や勝のように、死ぬる覚悟を持って人を信じる という心境になってみたいものです。

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テーマ=歴史上の人物 - ジャンル=学問・文化・芸術

【2007/01/02 04:24】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






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