|
日本で美容歴が17年あってもアメリカへやってきて自分が盲目だった部分に気付きを得た。
ねこっ毛で薄毛の金髪の方がいかに髪の存在感を誇示したいと願っているか 癖毛やカーリーヘアーの方が必ずしも皆、ストレートパーマをしたい ストレートな髪にあこがれているとは限らない。 日本では標準というものがしっかりあって、全てそこに持っていく事を前提に仕事をしていた感が強かったので。 ある程度髪質の幅があっても補正をかけて向かうところは同じ という仕事の仕方が身についていた。 しかし、これ程極端な髪質・骨格の違いや 価値観の違いの中で仕事をしていると まずはそれらをきちんと自分ごとのように把握してから、その人の個性に合わせて仕事を進めなければ、きっとお客様の要望は聞き入れる事が出来ないのでは無いだろうか? と、つくづく考える今日この頃です。 今日は既に3回目担当のお客様が来店 ハネて落ち着かないうえにねこっ毛、薄毛で悩んでいたのを ボリュームを出すためのスクエアーシェイプのグラデーションをラウンド気味に角を無く仕上げる事で 自然乾燥でも髪の毛が収まる というところをフックに固定客になっていただいていましたが、どうも彼女の要望のシャロンストーン前髪がまだ表現し切れていないらしく 以前持ってこられた白黒写真よりももっと解りやすいカラー写真を用意してきて下さって、やりたいイメージを語って下さいました。 その写真では前髪がディスコネクトでカットされて内側は短く強いラインが出ているのに上に被っている毛はシャギーで仕上げてあるのがしっかり写っていたので、それを真似てやってみました。 すると、ただ梳きでギザギザに切った時よりももっと前髪のエッジ部分にシャドウがかかって、輪郭がはっきり出てきました。 しかも以前は弱弱しく張り付いた感じにしかならなかったのですが 今回のディスコネクトの採用で内側の短い毛が表のシャギー部分を支える事でしっかりと前髪が固定されるうえに、とても立体感のある仕上がりになりました。 つまり、 エッジの存在感をしっかり出したいけれど、シャギーな前髪を手に入れたい! 一見相反するような複雑な要望にこのツーセク前髪がとっても効果的なんです。 僕はこの新しい発見に、思わず・・・・・ 『おかげさまで、今日は本当良い事学びました。 お客様が美容師を育てるって言うのは本当ですね・・・・・』 って、彼女にお礼を申し上げると、、、 彼女は照れながら 『あら、こちらこそ満足のいく仕上がりにして下さってありがとう』 って言ってくれた。 二人ともご機嫌(o〜)> |
|
サンディエゴで美容師をしている女性が髪を切りに来てくださった事がきっかけで、年末から計画していた美容師さんの集まりを決行しました。
以前カットしてもらったこともある美容師さんや、それからその方のお友達でカットモデルになってくださったエステシャンの方。そしてそのお友達の美容師さんも混じって5人くらいですが、サンディエゴで美容師をやっていく苦労話しや、楽しい事、がんばっている事。色々な話を聞けた。 一番嬉しかったのは、僕のブログのカリフォルニアの美容試験の内容を観に来てくれていた美容師さんが先日試験に合格したという知らせ。 お祝いに日本から持ってきた広島名産熊野筆をプレゼント 皆アメリカへやって来て、何も無いところから始めて そして一つ一つハードルを越えて行く そんな姿を見てると、本当に刺激を受けます。 中には今日は来れなかったけれど、僕よりも年上で渡米して来て一生懸命ビザ取得に向けてがんばっている男性美容師の話しも聞けて 一人じゃないんだ!って がんばらねば!って とっても底力が湧いて来る。 僕が日本にいた頃に思い描いていたよりも、アメリカで美容師をやる事は別にそんなに簡単な事では無かった。 でも、一生懸命努力をすれば必ず報われる それをちゃんと教えてくれる それがアメリカだとも思う。 出ようとする杭を打つよりか、杭を出るだけ出させて他のものを引っ張る。そんな気質が僕のお気に入り。 厳しさも半端ではないけどね〜 皆がんばってる! これからもお互い刺激しあって、一緒にサンディエゴで美容道を突き進みましょう!! |
![]() 公式ホームページ 2月 3、4、5日の3日間 LAのコンベンションセンターで毎年恒例の世界的美容イベント International Salon & Spa Expo が開催されました。 僕達 Dearingerの一行は4日の日曜日に見学に行ってまいりました。 会場にたどり着くとまずはマークのおごりで腹ごしらえ その後は、サッスーンのヘアーショーを見るために反対側の会場に大移動! まったくあわただしいスケジュールですが 会場にたどり着くと、サッスーン・サンタモニカ校の講師がマークに気さくに話しかけてきて、そのうちの一人が裏口から中へ入れてくれると言うので、彼女のあとをついていきました。 ![]() なんとなく後ろめたさを感じながら舞台裏から潜入して最前列をキープ!!! ![]() 僕のリーチの無い望遠レンズでもこんなにアップで撮れました ![]() 今年のトレンドスタイル、スクエアー系のデザインが中心でしたが、パネル操作を駆使してアシンメトリックな洗練されたデザインが舞台上を所狭しと埋め尽くします。 本当に。 カットがここまで進化できうるのか!? って感じです。 ![]() 物産展ではありとあらゆる新製品のショールームが軒を並べていて、かなり楽しめました。 ![]() 今や日本制といえば、ハサミと縮毛矯正。 YUKOシステムの縮毛矯正や、MATSTUZAKI、HIKARI、などのハサミもかなりがんばってました。 中にはKOKOROなんて聞いた事の無い日本製のハサミもあったりして・・・・・・・・ 日本よりもハサミ少し安めのうえ、うちのスタッフが3人分まとめ買いをするので$500のMATSUZAKIのハサミを一丁$300まで値切っていました。 僕も一丁欲しかったけれど、今月はドライヤーとアイロンも買ったので 悔しいけれど断念しました。 世界各国から沢山の人が訪れるので、中には日本からはるばる来た方もあちこちに見かけました。 こんなに近くに住んでいる事を感謝しなくては・・・・・・ |
|
今日は日本人の女性スタイリストのゆりさんがハワイへ行ってしまうので送別会が開かれた。
集まったのは全員ではないけれど気心知れた仲間がずら〜と参加した。 こうして一通り顔を眺めていると最近お店を辞めた人が20人中3〜4人 この半月というブログを書いていなかった間に沢山の人がやめていった。 まず皮切りはサンディー、 ミーティングの途中で 『後ろにいると私語が多くていけないから前の席に座りなさい!』 とマークに言われカァッ!!となってお店を飛び出したきり帰って来なくなった。 その後はべりー、 彼はサンディエゴの名門美容学校【ポールミッチェル・ザ・スクール】の講師をしていたという経歴の持ち主でマークからかなり期待されていたのですが・・・・・ 『自分はスクールの講師の出なんだから下働きはしたくないし、いちからトレーニングなんて真っ平さ!』 と忙しい土曜日に途中で帰ってしまってそれっきり そしてその次はネオミ 指が痛いから今日は仕事ができない。とマークに無断でその日一日の予約をキャンセルして帰り支度を整えているところへマークから連絡が入った。(全てコンピューターで管理しているので他店舗にいてもすぐ判る) 『シックリーブをするならまず、病院に行って診断書をもらって来なさい。』 と言われ、その後泣きながらその日一日のお客様をもう一人の若手カラーリストに全て任せて帰ってしまった。 そしてその次の給料日次の日アシスタントのホーリーも突然姿を現さなくなった。 その後はレセプショニスト兼アシスタントのシャノン 彼女はある日突然仕事中に頭が狂ってしまったような言動を吐きながら出て行ってしまってそれっきり。 今日はサンディーもネオミも来ていた。 彼女はいかにも解き放たれたかのような顔をしていた。 そして僕の知らない人も・・・・・ 僕の隣に座ったのは、僕より3ヶ月早く入社して僕の入社当初は色々本当に親切に教えてくれたセラ。 彼女は本当に働き者で、僕のアシスタント時代はクローズを二人が競争するようにテキパキとやっていた日々を思い出します。 彼女とは一緒にサッスーンアカデミーにも行った。 その彼女が最近木曜日の講習会に出て来ないのは何故だろう? そう思って聞いてみたら・・・・・・ 『私もここを辞めるのよ。 もうお金がすっかり底をついてしまったの。』 彼女はあと三ヶ月で入社1年目というところ。 僕が働いている美容院ではちょうどフロアーデビューを果たせるか果たせぬか?という正念場になります。 少し前に話をした時に、かなり金銭面で困っていたらしく しかも、車の中においておいたカット用具の入ったバックが、窓ガラスを割られて持ち去られてしまった事でかなりショックを受けていた。 道具のほうはマークがプレゼントしてくれたけどそれでもやはり持ちこたえられなかった。 良い人材が育ちきれずに止めてしまうのは惜しい。 とうとうこのお店はアシスタントが一人もいなくなってしまった。 どちらにしても、競争社会アメリカでは辛いアシスト時代を乗り越えてスタイリストになれるか、なれずに辞めていってしまうしか無い。 それとも僕が入った美容院だけがたまたまそうなのだろうか? 結局僕が入社した当初アシスタントだった子で生き残ったのは僕とアビーのたった二人だけ。 『日本の美容業界のほうが数倍厳のにな〜』っていうのが僕の本音ですが・・・・・・ とりあえずぎりぎり生活がしていけるほどの給料が保障されているだけ日本は続けやすいのかもしれませんね。 でも、毎日ちゃんと学べているのかどうかもわからないまま技術者になれるのはいったい何年後なのだろう?って先が見えなかった頃には帰りたくありません。 と言う事でどちらも一長一短ありますね。 と、辞めた人たちの顔ぶれを見ながらとても複雑な思いで過ごした送別会でした。 |
|
Always 三丁目の夕日 こんなにも嬉し涙でぐちゃぐちゃにされる映画を かつて視たことがあっただろうか? 電化製品といえば二股電球、扇風機とアイロン、ラジオぐらいしかなかった戦後の日本は、既にアメリカで発明されていた文明の利器を日々の生活の中に取り込んでいく事から始まった・・・・・・・ 世界大戦を生き残り、裸一貫で再び歩き始めた日本人には、文明の利器が庶民の手に届くようになることで、貧困の淵から這い上がっていく家族達の喜びがあったようにも思える。 自動車、白黒テレビ、冷蔵庫・・・・・・・ そして、近代建築の象徴東京タワーが完成真近! 木製のラジオで昭和天皇が終戦を告げたあの日から、貧困に苦しめられて来た庶民の生活は留まる事無く豊かになっていく。 既に近代国家として名高いフランスのエッフェル塔をモチーフに建てられた東京タワーは日本の明るい未来への象徴だったに違いない。 とは言え、あのスイッチをつけて画面に現れた力道山の空手チョップが、体の大きい外国人をなぎ倒す! あのシーンが無かったら、テレビだって紙芝居の一つに過ぎなかったでしょう。 日本人が日本の技で国際社会に打って出る事を望んだあの時代 『ワシはこの自動車で世界へ討って出る事だって出来ると思うちょる!』 いかにも長州の血を告ぐかのような男鈴木オートの思惑は全国民も同様だったのでしょう。 戦争で失ったアイデンティティーを取り戻す為に、とにかく外国が持てるものは何でも手に入れようとした。 でも、果たして彼らの幸せは物欲を満たす事だったのでしょうか? そして、僕達の幸福もそのようなものなのでしょうか? あの時貧しい生活の中でも家族の中に感じられた幸せが・・・・・・ 今も尚、全ての人々が感じられているのだろうか? カラーテレビ、エアコン、CDプレーヤー、電子レンジ、ワードプロセッサー、パーソナルコンピューター、ポケットベルに携帯電話・・・・・・・・ 挙げればきりが無いほど、人々が希望に満ちて思い描いた未来の三種の神器は民衆の中に行き届いた。 だけど、僕は覚えている。 一番最初に自分でEPレコードを買ってステレオでかけた時の感動のほうが、CDステレオデッキを始めて買った時の感動と比べるとものすごく大きかった事を。 レコードジャケットの匂いまでも今でも鮮明に思い出されるのです。 そして初めてビデオデッキを自分のバイト料で買った時、あれ程感動したのに、今DVDデッキを買ってもなんとも思わない。 映画の最後に、東京タワーを後ろから照らしていた美しい夕日のように・・・・・・ 夕日が文明を照らす姿が美しいと思う以前の時代から夕日は人間の心をに感動を与え続けてきた。 『10年後も、30年後も、50年後も夕日はきれいと決まっている。』 『そうだといいわね・・・・・・』『そうだな・・・・・・・』 でも、実際には今東京タワーを希望に満ちて見上げる人がいったい何人いるだろうか? あの時、一人の男が差し出した、空の指輪のケースの中に この世のどんなに美しい宝石よりも、美しい輝きを持った物を見た一人の女がいた。 彼女が見た目に見えないもの。 それこそが『幸せの原点』なのかな〜?ってつくづく思います。 どこにいてもどんな生活ぶりでも、夕日はいつもそこにあって。 あの美しい光で人々を照らしていたはず。 僕が21世紀に生きていようと、22世紀に生きていようと、それから20世紀以前に生きていたとしても・・・・・・・・・ 幸せはいつもそこにあって、 そして、それを感じ取る感性さへあれば感じることができるんです。 『幸せ〜ぇ〜って 何だぁ〜け ? 何だぁ〜け ?』 忘れがちな方にお勧めの名作です。 |
|
奥さんがもし日本に来て無くて、僕のようなお荷物を背負い込まなかったら・・・・・・・
多分マイホームなんてきっととっくの昔に手に入れていたかもしれない マイホームは彼女の夢 渡米の夢を叶えてくれた奥さんのために、小さくてもいいから家族のための家を・・・・・・・ その事が頭から離れないから、今日も不動産会社を経営するリンダさんの髪をチョキチョキしながらマイホームの話し・・・・・・ デュプレックスを買うって手もあるわよ! 私がね〜初めて家を買ったのは18歳の時なのよ。 今からそうねうん十年も昔の話しよ。 決して裕福だったとかじゃなくて、むしろその逆。 アパートを一人で借りるお金がなかったの。 だからちょっと頭をひねってね・・・・・・ デュプレックスの家(2軒つながりの家)を購入して片方を貸し出して家賃収入でまかなおうって考えたの。 書類にサインする時は本当に色々考えて、ペンを持つ手が震えてそうしようも無かったのよ〜 だって、もし借り手がいなかったら?とか、返済がうまくいかなかったら? ってやっぱりかんがえるじゃない!! 最初に買ったその家はもうボロボロに近い状態だったしね。 思ったより早くに借りてが見つかって、返済額がカバーできる程度の家賃で貸し出したわ。 仕事から帰って来てから自分が暮らしている方の家の壁を塗り直したりして、コツコツとリフォームに励んだわ。 自分でやったんですか? そうよ、だって職人に見積もりを出すと2千ドルも掛かるっていうんだもの。 自分でやったらいくらか?ってホームディポで材料費を調べたら$500も掛からない作業よ。 片方が終わって、もう片方の住人が出て行ったら、今度はリフォームをした方を賃貸して、もう片方の家をせっせとリフォームしたの。 そうやってもっと家賃を取れるようにしたのよ。 1978年に最初買った当時は$28.000(約300万円)だったその家が時の流れとともに値段が上がっていって、家賃相場もそれに連れてどんどん上がって行ったから、3年後には本当に支払いも楽になっていたわ。 賃貸として所有する家屋に施す内装工事費やファニチャーに至るまで全部タックス・ディダクティブだしね。 あの時もし、私があの決心をしなかったら? たぶん高い家賃に悩まされていただけでしょうね。 あの時の経験が良い教訓になって、その後に今度は3戸続きのボロボロの家を買って、また同じようにせっせとリフォームをして賃貸として貸し出したのよ。 これが今の私のビジネスの基盤になってるのよ。 だから、貴方も目先の事に囚われちゃダメよ! 物事はロング・タームで考えるの そしたらきっと良い事あるわよ! |
|
今年もやってまいりましたバレンタインズデー!!!
![]() お仕事が終わってお花屋さんへ直行! ダウンタウンを歩いていると、ちょっとセクシーめの服やピンクのキュートなドレスに着飾った若い女性達が沢山歩いていてちょっと目の保養になったりして・・・・・・ ほんのちょっぴり奮発してプチ薔薇?の鉢植えを買ってみました。 サリナにはバル〜ンだねやっぱり・・・・・・ ピンポーン! 呼び鈴を鳴らしたら奥さんがドアを開けてくれて、鉢植えを渡したら、最初の言葉が・・・・・・ 『も〜うこんなものにお金をつかっちゃってぇ〜!!』 って怒られました” ちょっとしょんぼりしてパソコンに座ると、奥さんとサリナからのカードが置いてありました。 もう文字が書けるようになったんですよ〜。 サリナは〜。。。。 ![]() トロケちゃうなぁ〜 Varentine's Day の由来 |
|
いや〜御無沙汰しておりました。
インターネットのトラブルでメールさえ開けない日々が続いていたので 本日やっとCOXとの新規契約を済ませて快適なネット環境を手に入れることができました。 今日メールを開いてみるとおびただしいe-mailが入っていて(迷惑メールも多数)その処理追われました。 eitaさんせっかく書いてくださったコメントを誤って消してしまいました。申し訳ございませんm(_ _)m これを読んでいたらもう一度コメントを書いていただいたら幸いです。 それからコメント返しをまだしていない方、本当にすみません。そちらのほうもぼちぼちやっていきますのでよろしくお願いします。 今回のトラブルで新たな発見もありました。 この1年半年というものほぼ毎日のようにブログを書き続けて来たので インターネットは僕に無くてはならないものになっていました。 だから ネットに繋がらなくなってはじめのうちは、僕はインターネット依存症のような感覚で、毎日イライラして過ごしていました。 夜中は比較的繋がる確率が高くなるので、夜中3時ごろに起き出してメールをチェックしたりもしましたが、電波が微弱で返事を書こうとするとエラー状態になるのを繰り返しているうちにですね・・・・・ 『もういいや!』 てなもんで、ネット中心の生活を改めてちょっと距離をおいて暮らしてみました。 すると、この半月で5冊の本を読み、4本の映画を視て、音楽を聴いたり、奥さんと話をしたり、娘と一緒にお絵かきをしたりと、 僕の一日の中でそんなに長くない自由になる時間が、かなり有意義なものに変わってゆきました。 インターネットが無くても生きていける と、までは言いません。実際昨今は連絡系統のほとんどが携帯電話かe-mailで行われ、事アメリカではOn Line Map 機能無しではとても不便です。 今や無くてはならない存在になったインターネット そうは言ってもちょっと深呼吸して付き合いたい やっと、ネットが完全開通ですが、今回の経験を期にもう少しリラックスした気持ちでブログと向き合おうと思っています。 |
|
| Top |
|










