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テンプル騎士団とスイス銀行  | シリーズお金の歴史
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第一次十字軍の遠征において、武装修道会という新しい概念が生まれ、テンプル騎士団が組織された。

テンプル騎士団は建国間もないエルサレムの治安維持が主な存在意義だった。

1291年のエルサレム王国の陥落によってエルサレム巡礼者の保護という、本来の役割を失った。

その時点で巨大な組織と化していたテンプル騎士団はヨーロパにおいてネットワークを築いていた。

テンプル騎士団はソロモンの秘宝を掘り当て巨万の富を隠し持っていた。 と、いわれている。

そのうえ騎士団は税金の免除という特権を持っていた。

巡礼者達が騎士団に財産を預け、証文を発行。 ヨーロッパ中の騎士団のネットワークにあるどこでもその証文でお金が引き出せるという、

現在の銀行に非常に近い仕組みをヨーロッパ各地で作っていた

そのうえ、通常の修道院と同様、寄付金や寄進も受ける。 全て税金免除だった。

彼らの富は次第にどんどん膨らんで行き、軍隊のトップや貴族、そして国王にまで金を貸し付けるようになった。


特にフランス国王 フィリップ4世の頃、

当時のフランスはイギリスとの戦争によって多額の債務を抱え、テンプル騎士団が最大の債権者であった。

フォリップ4世は1307年に、テンプル騎士団を弾圧しその財産を没収した。

テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を合併し、自らがその指導者の座について聖地を再征服。その後、自分の子孫にその座を継承していくことで自らの一族が何世代にわたって全ヨーロッパにおよぶ強大な影響力を及ぼす、というのが国王のもくろみだった。

彼らは1306年にはユダヤ人の迫害も行っている。

教皇クレメンス5世はフィリップ4世の意をうけて開いたビエンヌ公会議で正式にテンプル騎士団の禁止を決定。

フランス以外の国においてもテンプル騎士団の禁止を通知した。 カスティーリャとアラゴンでも、ドイツのキプロス島、スコットランドなどではその罪は問われず弾圧も行われなかった。

テンプル騎士団は財産をフランス国王に没収され、異端のぬれぎぬを着せられたまま彼らは路頭に迷う事になる。


この弾圧の最中、密かに財産の命を持ち出し、命からがら逃げ出したテンプル騎士団がスイスまで逃げ延びて隠れ住んでいたそうです。 そこから持ち出した財産を元手に再び銀行業を営み始めました。


現在のスイス銀行はテンプル騎士団が作ったと言われています。

今でこそ預金額の掲示が義務づけられて、そのお役目をレバノンの銀行に持って行かれてしまいましたが。
以前のその秘密めいたスイス銀行の姿は、まるでテンプル騎士団の秘密結社のようでしたね。
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テーマ=歴史 - ジャンル=政治・経済

【2011/08/15 07:04】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






投機マネーとバブル経済の崩壊  | シリーズお金の歴史
1971年にニクソン大統領が固定比率によるドルと金の交換を禁止してしまいました。

それによって糸の切れた凧のようになった貨幣価値は、まるで有価証券のようにめまぐるしく変動するとても不安定な代物になってしまいました。

価値の裏付けを失ったお金の価値は、有価証券と同じく証券取引場でその価値が決定されるようになりました。

国際決済通貨であるドルがマネーゲームの道具へと変化していったのです。

一般の人々には不安の種の貨幣の変動も投資化にとっては格好の代物でした。

安いときに買って、高いときに売り利益を得る。 投機マネー の考えがコンピューターとインターネットの発展とともに世界中をシェアに入れながらどんどん進化していきました。


やがて、経済にとてつもない矛盾を生む事になります。


全世界の国が一日に産出する商品・サービスの総額が約836億ドル。それに対して外国為替取引額は一日で1兆8800億ドル、デリバティブ取引をあわせると3兆1000億ドル。


実体経済はマネー経済のわずか2.7%しかない。


これがバブル経済の事実でした。



言い換えれば実体の無い経済だったといえるでしょう。


コンピューターが世界中に張り巡らせるネットの中で、人々の意識がどんどんその数字を膨れ上がらせて行き、無限に膨張する富を得たかのような感覚でした。

しかし、悪夢は繰り返されます。


金本位制の時に起こった 金と貨幣のバランスの不均衡。 

為替金本位制で蘇った 金と貨幣バランスの不均衡。



この 投機マネー もまた、多額の実体の無い貨幣を生み出しシステムが崩壊してしまったのです。


1990年代後半に世界各国で金融危機を引き起こし、世界を新たな混乱に陥れていきました。


この投機型の貨幣システムが程よいとこまで上がり、そして程よいところで下げが止まってくれればいいのですが・・・・・・・・ 


その価値の裏づけとなっていた金と切り離されてしまったために、なかなか思うようにはいきません。


それでも大口の投資家は大量の投資を行う事で、市場の動きを操作しようとしました。



ITバブルに、株式バブル、マイホームバブル、凧の糸が切れてしまった経済を安定成長させるカンフル剤が幾度無く投入され続けました。


全ての満ち引きを経て、やがて人々は気がつきました。 


今の世の中に確かな価値など存在しないことを。 


2009年の6月現在、ITは安売り戦線、 株価は暴落、マイホームは最高高値時の半分以下に落ち込んでいます。 



幾度も繰り返す経済崩壊の根本にあるのは、何千年もの昔に生み出された 『実態の無い金』 を操る "利息”の考え方が根底にあります。


利息は世の中に存在する金の保有量に関係無く膨れ上がっていきました。

僕達人類は中世の金細工師が食べた禁断の果実の呪縛に21世紀の現在において翻弄され続けているのです。


宇宙空間が限りなく広がり続けるように、お金もどんどん膨れ上がる事を望んだ資本主義の、現実をはるかに超えたマネーゲームが行き着く先はやはり新たな崩壊を何度も繰り返すのみのような気がしてなりません。

ひょっとすると、これからの人生をうまく生き抜く方法や、地球の将来の為、人類の為にあるべき形が見直される時期に来ているのでしょう。


まずは自分の生活だけでも実態とマネーの均衡を保つ努力をする事にしよう。
  
     
<<金本位の崩壊とニクソンショック
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テーマ=めざせ経済的自由! - ジャンル=株式・投資・マネー

【2009/06/08 23:56】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






金本位制の崩壊とニクソンショック  | シリーズお金の歴史
金細工師が預かった金を担保に金を貸し出したのがきっかけで金融機関が誕生しました。

しかし、ここで少し考えてみてください。

金庫の中の金は金細工師の所有物ではありません。 自分の所有物でないものを貸し出す事は横領罪に等しい行為ですが、その事は一般には秘密裏にされていました。

いずれにしても、これまでの取引の中で金庫の中にある金塊の数は基本的に変化がありません。

このシステムの中で市場に流通ているのは紙幣と呼ばれる預り証と借用書のみで、預かり証に対しては手数料を徴収し、借用書に対しては利息を納めさせる。

どちらにしてもいつかこの取引で銀行側が要請すれば手数料と利子分の金をどこからか持ってきて埋め合わせる責務が生じる取引なのです。

でもそんな金は何処にも存在しないので、紙切れ上だけの取引で数字が膨れ上がっていました。

つまり、膨れ上がる利子のために金と貨幣の均衡が保てなくなるのは時間の問題だったのです。



1929年の世界大恐慌で銀行券の信用を疑った預金者が金での引き出しを要求した時に、この根本的な欠陥が浮き彫りになり 金本位制は崩壊しました。


ゴールドラッシュを経て、戦勝国となったアメリカは巨大国家に成長しました。 戦後、アメリカには全世界の70%、約22000t(全盛期の英国でさえ1000tといわれる)もの金が集まっていた事が決め手となり、ブレトン・ウッズ会議で「米ドルのみが金と交換可能で、他国のお金は米ドルと交換できる」という 金為替本位制 がとられることになります。

しかし、アメリカの国富に依存するこの制度も長くは続きませんでした。



米国は1960年代にベトナム戦争での大量支出や、対外的な軍事力増強などを行った結果、大幅な財政赤字を抱えることになり、国際収支が悪化して、大量のドルが海外に流出してしまいました。 その穴埋めに自国の金保有量をはるかに超えた多額の紙幣を発行したため、ドルは金との交換を保障できなくなってしまいました。

1972年にニクソン大統領はドルと金の交換を停止してしまいました。これを ニクソンショック といいます。

これまで希少価値が価値を決定していた世界の通貨システムが一転して、


お金の裏付けとなるものが何もなくなったのす。

しかも本来、「財政赤字とインフレと貿易赤字」という不均衡を解消する合理的手段は財政赤字の削減であったにも関わらずニクソン大統領がとった政策はドル安でした。

変動性の高い貨幣政策に加え、致命的な失策

これを引き金にアメリカは長い景気低迷の一途を辿る事になります。





        金本位制と銀行の誕生<<  >>投機マネーとバブル経済の崩壊
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【2009/06/08 23:49】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






金本位制 と 銀行の誕生  | シリーズお金の歴史
やがて希少価値の最も高い金が貨幣の中で一番高価なものと位置づけられました。
人々は金貨を自宅に置く事に不安を覚え、やがて金細工師の中から自分達の持っている金庫を一般に貸し出す者が現れました。

彼らは金を預かり、預り証を発行し、保管のための手数料を受け取ったのでした。

人々は金が必要になったとき、預り証を持って金細工師のとことへ行き金を引き出し、買い物をし、売り手はそうして手に入れた金を再び金細工師のとことへ預けに行きました。

それならば預り証を直接代価として渡せば事足りる

という事になってその金の預り証が紙幣のような働きを始めたのが 兌換紙幣の起源であり 金本位制 の幕開けでもありました。

さあ、そうなると預り証はあちらこちらに動き回るけれども金は金細工師の金庫の中に眠ったまま。

金細工師の中にはその金を担保に紙幣を発行し貸し出す事で利益を得るものが出てきます。

こうして13世紀のイタリアで近代式銀行業が始まりました。
 

この次点でお金の発行に関わる権限が民間へと移行したのです。



 お金の歴史と貨幣発行権の集中<<
  >>金本位制の崩壊とニクソンショック
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【2009/06/08 23:40】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






お金の歴史と貨幣発行権の集中  | シリーズお金の歴史

遠い遠い昔の事。

人は自分達が生産した物資を物物交換し始めました。

やがて、交換条件を整える為に誰もが必要とする家畜、塩、砂糖、穀物などの生活必需品が全ての物資の価値を仲介する交換対象となっていきました。それが 商品貨幣 といいます。


商品貨幣には腐食や劣化等の致命的な欠点がありました。


やがて腐らず、その希少価値のある貝や石が物資との代価となり。 貝殻貨幣の時代がやってきました。 


"財” "買” "購” "貨” などのお金の存在に関わる言語に ”貝” が使われるようになった所以でもあります。

紀元前3500年頃メソポタミアの時代に生まれた金属の鋳造技術はゆっくりと発展していき、


最古の鋳造貨幣が紀元前7世紀にリディア王国で作られました。


その後は、金、銀、銅 等の 金属貨幣 が貨幣の役割を果たすようになります。


当時の貨幣は貴金属の純度がまちまちであったため、取引のたびにその純度を測る必要性がありました。 

毎回毎回、金貨の純度を測る作業を省くには、貨幣の鋳造状態の統一を図る必要が出てきました。



そのために国王等の最高権力者が貨幣の発行に関わる全てを取り仕切り、誰もが勝手に造幣できないシステムが作られました。
 


これを貨幣発行権の集中と言います。


                                           


                                   >>金本位制と銀行の誕生
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【2009/06/08 16:56】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑






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