![]() 1897 創設 Hotel Weatherford 古くから ハンフリーズ・ピークスキー場や、 バリンジャー・クレーター、グランドキャニオンへの観光の宿場町として栄えた。 ![]() Flagstaff にはこんな歴史を刻み込んだ由緒ある建物が数多く、そこにいるだけでノスタルジックを感じるんです。 ![]() 地名は1876年にアメリカ独立100周年を記念して立てられた旗竿に由来する ![]() なんと! 一泊5ドルのモーテル!!かつて ルート66 を通ってシカゴからサンタモニカへ行く道中の宿場として栄えたフラッグスタッフには、当時のこんな宿場街の名残も残っています。 以前フラッグスタッフに映画の撮影場誘致の話がありましたが、話は途切れ映画産業のメッカはハリウッドに決定しました。 しかし、その後もたくさんの作品がここフラッグスタッフで撮影されました。 僕たちが行ったときもちょうど何かの映画のワンシーンが撮影されていました。 特にフォレストガンプの疾走シーンの中ではこのフラッグスタッフのダウンタウンを走り抜けるシーンが撮影されています。 あれはルート66だったんですね〜 冥王星を発見したかの有名なローウェル天文台がある。 |
![]() Sedonaを後にした僕達は少し時間があるのでN179号のかわりにN89Aを通って北上する事に決めた。(お急ぎの方はNI17からNI40へ抜けるコースがお勧め) 山間部の川沿いに作られた89Aは緑も多く、その景観はまるで日本のドライブコースを走っているようでした。 ![]() いったん W I40を西に走り、N64へ抜けるとまっすぐどこまでも続く長い道まるで空へ続いているようです。 ![]() セドナを出発して約二時間。 ようやくGRAND CANYON SOUTH RIM の入り口が見えました。 入園料は車一台につき $25 ちょっと高めですが一週間何度でも出入りが可能です。 国立公園では車だけでなくバックパッカー対しても$10の入園料を徴収して園内で一日に排出されるゴミや非尿などを制限しているそうです。 自動車は園内5箇所にある駐車場へおいて、フリーのシャトルバスを利用しながら景観を楽しみます。 シャトルバスは、 西側景観ラインのREDライン ![]() 中央キャンプ施設移動ラインのBLUEライン、絶壁沿いにトレイルが作られているので、景観を満喫しながら散歩ができます。 ![]() 東側景観ラインのGREENライン ![]() と分かれています。 ここでは馬がコロラドリバーまで下るトレイルがあるので、少しばかり徒歩で下ってみました。 なんと言っても25mileもはなれていて、シャトルバスが行かないDesert View がお勧め。 7月7日からシャトルバスが運行になるそうです。 ![]() ここのタワーに上ってキャニオンを見下ろすと、CRORADO川の蛇行や、休火山の噴火口なども眺める事ができます。中世ヨーロッパを思わせるような景観に思わずため息。 |
![]() 179号線から89A号線に入るともうそこはスピリチュアルタウンSedona まず真っ先に向かったのがこのチャペル Capel Of The Holy Cross 50年前に建てられたこのカトリック教会はセドナの数多くある教会の中でももっとも有名な名所になっています。 僕達は一日しかステイできなかったので、まずインフォメーションセンターへ行きました。 すると、一日で見て回れるロケーションを案内係のおじさんが懇切丁寧に教えてくれました。 その中でも upper Red Rock Loop は高い場所からレッドロック達を見下ろしながらループ上に走り、途中から舗装されていない道路を走ったりして、プチネイチャーな雰囲気もあって、ハイキングをする時間が無かった僕達にはとっても最高でした。 ちなみにココの土地 3エイカーが$700.000って札が出ていました。 でも少し繁華街へ寄ったレジデンスエリアでは 2Bed Roomコンドーが$300,000 と、現在価格が急降下中のサンディエゴより高い。 ![]() それから、Airport Mesa は高台から Cthedral Rock を含み180度以上の景観を楽しめます。 ![]() ローカルが食事に行くリーズナブルなレストランAirport レストランがまた、おじさんお勧めのスポット。 まるでマチュピツを思わせるような、崖っぷちの平らになったてっぺんが滑走路になっていて、その入り口付近にレストランがあります。 少々古い建物だったけど食事も接客も良好!! 通常はここから夕日が沈むのが見えるらしいのですがあいにくの曇り空だったので、見れませんでした。 Airport Rd. を下った正面に今日の宿泊のBest Westernがありました。 ここはさすがにグランドキャニオンに継いでアリゾナの観光地代位!という事で、昨日のモーテルより高めでした。 Sedonaの建築物の多くが、Adobeという日干煉瓦を使ったプロブエ式住居に似ています。 鉄分が沢山含まれた赤土の景観に溶け込んでとても趣があります。僕達が宿泊したホテルもまた、このブロブエ式住居に似せたものでした。 せっかくの Sedona 旅行は夕方から夕立に降られていったん休止せざる終えませんでしたが、ホテルバルコニーから見える景色もまたレッドロックで、カメラを片手に写真を撮り続けました。 ![]() 雨が晴れてからの2時間、しばらくまたドライブに出ました。 ため息が出るほどきれいな街です。 このホテルのブレイクファーストはとっても満足でした。 明日はいよいよGRAND CANYONへ発ちます。 Data: Best Western Sedona $155朝食付 セドナから北側へ抜ける場合、89Aを走る事をお勧めします。 川沿いを道路の景観は緑も多く、まるで日本の景色を思わせるようです。 アメリカ在住暦が長ければ長いほど、ちょっと心が休まるドライブになると思います。 |
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China Town
ロサンジェルス日本領事館からフリーウエー110号 に乗ると5分程度でチャイナタウンのEXITです。 ![]() まずは飲茶で腹ごしらえ バンブー・プラザ(Bamboo Plaza)というショッピングモールの中にある エンプレス・パビリオン(Empress Pavilion) ![]() 言っておきますけどね〜皆さん! ここの炒飯はほんまに最高ですよ! フワっとしてて、口の中でパフパフして信じられないほど軽い!!! それからえびシューマイは もう、プリンッ! プリンッ! 食後はやはりショッピング SAIGON PLAZAへ ![]() ここはかなり面白いものが盛りだくさん! チャイナ服やら、中華系の雑貨。 そして携帯電話のケースやら、メイキャップが$1均一だったり、陰部へつけるピアスなんかも置いてあったりして、かなりエグイ!! 広島の本通にある董源(地元ネタですみません)のような感じかな? 僕はもっぱらこれに足を止められてしまいました。 ![]() たった$20でハイクオリティーのドレスシューズやチャッカーブーツ等 サイズが無かったのが残念・・・・・ ![]() 乾物はかなりグロテスクかも? ![]() 中国の菓子パンは日本の菓子パンに似てとっても美味しかったですよ。 かなり、楽しかったのでチャイナタウンだけでももう一度ゆっくり来て、一日中散策したいです。 |
![]() マイミクのひーさんがサンディエゴへ尋ねて来てくれました。 広島時代はお店に髪を切りにきてくれたり、皆でサルサに行ったりと結構楽しくやったださぁ〜 彼女には夢がある建築家になる夢さ いつも前向きに進んでる とっても凛としたところがある。 何年経っても薄れないその夢に向かって一歩ずつ一歩ずつ努力する彼女をとても尊敬しています。 今回はあまり日程が無く、かなりあわただしくサンディゴ観光をした。 ロホイヤ行って、マウントソリデットに行ってサンディエゴの街を一望! オールドタウンに・・・・・・ あっという間に時間が過ぎた。 帰りのバスに乗り込むその前に、がんばってる彼女を励ます為に近況報告をした。 『僕達、住宅ローンが通ったんだ。アメリカに来て2年、職歴だって、金融機関との取引履歴だって、何も無いところから、仕事についてたった1年で、家が買えるんだ。 本当に信じられないくらい夢のような話だよ。 ねえ、環境がどうであれ、世の中がどうであれ、前向きにがんばっていたら認めてくれる国なんだこの国は。 でもね、今考えると日本だって同じような気がする。少し評価のされ方は違うけれど、前向きにがんがんやっていれば必ず報われると思うよ。 だからひーさんも夢をぜったいあきらめずがんがん前進してってなぁ〜』 相変わらずのお説教男ですが、ひ〜さんが元気な顔を見せてくれた事が何よりもウレシィ〜 もっともっと沢山のサンディエゴの建築を見せてあげたかったけど、とりあえずDel Coronado とUCSDの図書館Geiselだけはおさえたね・・・・・ PS:藤井屋のもみじ饅頭とベビースターラーメン(広島焼き風)ごちでした |
![]() サンディエゴへ来て以来、海辺のドライブばかりしていたので、Memorial Dayの日曜日は山側、95号線イースト日帰りドライブコースへ行ってきました。 フリーウエイ94号線を終点までいくと旧サザンカウンティーのメインストリート94号線が出現! これをどんどん奥地へドライブしていくと ![]() かつてみたOld Sweetwater Road bridgeにさっそくたどり着いた。 そこから15分も走らないうちに早速Jamulという町にたどりつきます。 Jamulには Simpson'S Nursery があります。 基本的には、植物や野菜の展示即売をしている牧場と農園ですが、ここのオーナーが趣味で作っているクラッシックカー展示コーナー CAR Buffs が見所なんです。 一歩その建物の中に入るとタイムスリップしてしまったような感覚です。 広島でいうと福山の【みろくの里】、【横浜はラーメン博物館】のような古き良き時代のグッズや光景が本物のアンティークの陳列で再現されていて、そこへ1920年代から1970年代にかけてのヴィンテージ・クラッシックカーが50台以上も陳列されています。しかも観覧無料です。 ![]() 1926 Model T Speedster 自動車の説明書きはあるのですが、アンティーク小物達の説明はありません。そこで、展示小物のうんちくをわかる範囲で載せてみました。デートの際にお役立てください。 Simpson'S Garden Town Nurseryのアンティーク達 Simpson'S Nursery を出てしばらく走ると冷たいドリンクとバーベキュー・バーガーがおいしいDuzura Cafeが右手み見えてきます。 そしてしばらく走るとフィッシュフライで有名なBurrett Cafeへつきました。 僕達はさすがにこのあたりでお腹がすいたのでここで食事を済ませることにしました。 ![]() カウンターの上にマリリンとプレスリーがどで〜んと立ってます。 ![]() カントリーの生演奏を聞きながらお食事を楽しみました。 写真取り忘れましたがここのフィッシュフライ確かにおいしかったですよ〜。 ![]() オーナーがペプシのリッドとフロストとミリタリー・ナイフの部品やバブルガムなどの寄せ集めの道具で釣ったという伝説大魚が飾ってあります。 つい最近までギネスに載っていたそうな・・・・・・ でもこの話はいまいち定かではない..... ![]() 走っても走ってもサザンカリフォルニアの山は大きな岩だらけで、開拓時代この大岩を一つ転がすごとに、人々がRock'n Roll !!!って叫んでいる光景が瞼に浮かぶようです。 R188へ曲がってちょっと寄り道..... ![]() Tecate(Mexico)の国境へ向かう道です。 向こうへ見えているのはもうメキシコなんです。 沢山の不法移民が後を絶たないR94にはボーダーパトロールがしきりに行き交っているし、途中関所みたいなのがあって、一台一台車を調べていました。 メキシコのボーダーはくぐらず、再びR94へ引き返しました。 途中、『なんでこんなところに踏み切りがあるの?』なんて思っていたら、アリゾナへ向かう列車が走っていました。 CampoにはThe Motor Transport Museum'sという列車博物館があります。 Campoのここらあたりが94号線の終点これから左へ折れると8号線へつながります。 と、言う事で本日の外94号線日帰りドライブの旅はこれで終了!!! ![]() |
![]() 一年前の今頃、僕はニューヨークに居た。 天を突き刺すかのような背の高いビルが立ち並び・・・・ そこはまるで宇宙基地の未来都市のような様相だった。 ビッグアップルを縦横無尽に急ぎ足で突き進む・・・・ 空はまるで高層ビルにちぎり取られたかのように 存在感が無く・・・・ アスファルトの上にドンと落ちる影が まだ日が落ちきらない時間でも、 Times Sqareのネオンを明るく輝かせていた。 ネオンが光輝く街、ニューヨーク。 それが、僕達の旅のはじまりだった・・・・・・ アメリカ縦断旅行 |
![]() 早朝4時半起床! 今日はいよいよ渡米以来お初のスノーボード!!! ローカルではサンディエゴから約2時間のMountain High と 約2時間30分かかるBear Mountain Resortがありますが、雪質の良いBearのほうへ行く事にしました。 15号線Northに乗って 215号線をNorthへ 10East ハイウエー330 ハイウエー18をEASTへ Big Bear Lake damを横切りといきたいところだったのですが、今日は通行止めだったので湖畔の道をひたすらBearを右手に見ながら進んで行きました。 スノボーへ行く途中は山から登る朝日が見れて気持ちが良いです。 ドライビングMAP |
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土曜日はワンデイトリップでメキシコへ
僕にとってははじめての陸路を通った国境越えだ。 案内をしてくれたのはMr.ロペスとアルバートのご家族。 僕達の家族と日本から予防接種の研究に来ている日本人の小児科のお医者さんも加わってとっても楽しい一日になりました。 ![]() あれがメキシコのインターナショナルボーダーです。 だんだん近づいてくると、悪いこともしていないのになんだか緊張してきます。 |
![]() サンホゼ空港へ着くとインフォメーションセンターへ、VTAの発着駅まではシャトルが無料で連れて行ってくれる。そして広島や長崎の電車に似たVTAに懐かしいな〜って思いながら乗って宿泊先のマリオットホテルがあるコンベンションセンターへ着きました。$1.70
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テーマ=米国カリフォルニア州ベイエリア情報 - ジャンル=海外情報 |
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テーマ=DLR(カリフォルニアディズニーランドリゾート) - ジャンル=旅行 |
![]() LA アナハイムにあるディズニー・ランドに行ってきました。 1901年にシカゴの貧しい農村の4男として生まれたウォルトは、 その貧しさゆえに、ろくに教育を受ける事もできず 必死になって働き,家族をサポートしなければならなかった。 あまりの生活の苦しさに上の兄二人が家出をして、 ますますウォルトは必死になって働かなければならなくなった。 それでも、大の列車好きだったウォルトは、 列車の中での新聞売りをすごく楽しんでいた。 憧れの兄ロイが軍隊に入隊した後、ウォルトも自分の生まれた年をごまかして志願した。 その頃から絵は頻繁に描いていて、軍隊のトラックのそこら中に落書きをした事で知られている。 満たされない幼少期に夢に描いた世界が彼の描くワンダーランドとなった。
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テーマ=DLR(カリフォルニアディズニーランドリゾート) - ジャンル=旅行 |
![]() 映画の中でもよく出てくるLA空港の管制塔です。 ここに3時について待つこと1時間・・・・ もう限界!!と思っていたらやってまいりましたぁ〜 アルトロ爺さんとメリーおばさん。 サリナおじいちゃんだよ〜! 再会 車に乗り込んでしばらくすると、アルトロ爺さんフィリピンの情勢について語り始めた。 今、マニラは無法地帯と化してしまっているようです。 アルトロ爺さんは元米軍の別荘地のバギョウっていう涼しい避暑地に住んでいるのでわりと安全に暮らせているみたいだけど、国家機関、警察、と一般市民の癒着で汚れきった無法地帯がマニラには出来上がっていて、何が起こるかわからない状態だそうだ。 たとえ事件がおきたとしてもお金で片がついたりする事もしばしばだそうです。 シゲ爺(僕のとうちゃん)の住んでる国は安全でいいね・・・。今、僕が住んでいるサンディエゴのほとんどの区域は、夜遅く一人で散歩してもぜんぜん平気だけど夜中は外出を控えています。 |
![]() 今僕の頭を悩ませているのは、これです。 都市部を車で走るのはかなり大変です。おまけにカリフォルニアのドライバーは大阪と同じくらい意地悪ときている。 西海岸は東海岸に比較すると高層ビルが少ない。全米第2の大都会に来たという気もしないくらい、普通の街に見える。太平洋プレートがもぐりこむので、地震が多く、高いビルを作る費用は莫大なものになります。そのうえ、比較的平野部に恵まれているので、都市部が平たく広く発展していきました。カリフォルニアは日本の全長より長く、LAとその周辺の郡を合わせると、北海道がすっぽり入ってしまうほどの広さです。サンディエゴも同じく、行動する範囲が広いので、どこ行くのも車、車。東西に伸びる8号と94号線、南北に伸びる5号と805号線が生命線となって、約1時間以内で東西南北を網羅する。平均時速は65〜70マイル(時速100km)、EXIT専用ラインも含めて最大車線数は6ライン。もう、フリーウエイに入る前に目的地への経路をはっきり確認しておかないと、車線変更を誤ると永久に目的地に到着しない。僕の妻が、何故あれほど日本の道路事情について精通したか?ここに来てはっきり解りました。 用意周到が安全の元、渋滞をいかに回避するか?も重要事項、できるだけ2人以上で出かけて、『カープールレーン』を使用すると、スムースに行動できます。 寄せ書きを連絡帳という名前に変更しました。 まだ、まだ、一人で車に乗ってチュラビスタから出る事ができないので、フットワークは軽くないですが、一生懸命運転の練習をして、このブログを見ている方の知りたい内容など、取材できるようになりたいと思っています。そうすれば、僕のアメリカでの人生もエキサイトなものになるし、皆さんもお友達に話すネタが増えるでしょう?夢を語ろう部屋もよろしく。 連絡帳 夢を語ろう部屋 |
![]() 日本人として、これほど怒りを覚えたことは無かった・・・・。 一枚のパネルの前に立っていました。こみ上げる怒りが抑えきれなくて、その場で感情をあらわにしてしまいました。そこには収容所からやっと開放されて、3年ぶりに我が家に帰った日、ガラスは破られ、壁のあちこちに 『ジャップは出て行け!』と書いてありました。 僕はアメリカ合衆国移民局の許可を得てこの国へ入国しました。移民が決まった時からここへ来よう!と、思っていました。リトル東京 ジャパニーズ・アメリカン・ナショナル・ミュージアム 第2次世界大戦以前からの日本人移民の歴史が展示されたミュージアムです。 まずはハワイに移り住んだ日本人が農業を営み始めた。(その当時、coolcutsの父方の親戚もカウアイ島に移住しました)、そのうち鉄道建設が急がれる本土へ、低賃金の労働力として、ハワイから移り住むものが後をついだ。当時の日本人は、アメリカ人達にあまり良い評価がされず、日本人コミュニティーは、社会に認めてもらう為に一生懸命努力を重ねていた・・・。そのおりの真珠湾攻撃でした。ジャパニーズアメリカン達はジャップと呼ばれ、収容所に連行されました。 日本に住んでいると、日本人が差別の対象になるなんて、イメージのつかない事ですが、どんな民族もその時の状況と、環境においては差別の対象になる可能性はあるのです。その当時の日本人はアメリカの最低賃金で働いていました、それでも自国の3倍の賃金だったそうですが、女、子供を一緒に連れてくることはできず、過酷な労働と寂しさから、阿片を常用したり、売春宿に通ったりするものが、日本人コミュニティーの秩序を壊していたのです。今日、世界中に日本人がビザ無しで旅行できるほどの信用を得ているのは、どん底の状態から先輩達が信用を回復させる努力をしてくださったからだろうと思います。最近、ちまたでは、『若者達が自国の総理大臣の名前も覚えていない国』なんて声が聞こえつつあります。それは大げさな話ですが、日本人の学習意欲と愛国心の低下を指摘しているのだと思います。改めて、『愛国心を持ち、民族の誇りも持って生きていこう!!』と誓いました。 海外移住の歴史 ―アメリカへ渡った日本人― |



















































