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昔アルトロ爺さんに聞いた話がある。
サンディエゴガスランプにあるの名物ツイン・コンドミニアム当時のガスランプは普通の人は誰も近寄りたくないくらいに荒廃しきっていて、ここの地上げを行う為に、周囲の環境をごっそり変えてプロモーションをかけたという話。 でも、今回イーストビレッジでお店を営むT氏の話はダウンタウンの図書館移動にからむ汚職と 地上げ屋、ならず地下げ屋の話です。 『最近、この辺の治安がかなり悪化していてね、僕は今移転を考えているんですよ。 先週だけでも3人の浮浪者が近所で死んでるし、おとといはホームレスの女性がお店の前にしゃがんでおしっこをしてた、ポストにうんこを投げ入れられたりもしたんですよ。 あそこの角を曲がったところで、浮浪者のカップルが性交をしていたし、喧嘩なんてしょっちゅう。 人殺しだって結構聞くようになった。』 そういえばちょっとここに来ない間にホームレスがとっても増えたようですね、やっぱり不況のせいですか? 『不況もあるけど、これはどちらかというと仕組まれた事なんだ。』 仕組まれた事? 『図書館を挟み込むようにね、ブロードウエーの近辺と、このご近所にホームレスに食事を配る給仕施設が作られたんだ。 だから必然的に彼らがどんどん集まってくる。』 ちょっと待ってくださいよ、イーストビレッジはダウンタウン南側開発計画のぺトコ球場周辺ディベロップメントの一つに入っていると思ってましたが・・・・・・ 『そうですよ。僕もその流れの発展性を思ってここへ出店したんです。』 どういうことなんですか? この周辺の土地は3人の投資家がほとんどのビルを所有しているんだ。 このお店のビルの所有者がその一人でユダヤ人。 今、サンディゴ市では図書館をPETOCO PARK 周辺に移す計画があってね。 現在の図書館跡がごっそり開いちゃうって訳。 それで、彼ら3人の投資家はその図書館をできるだけ安く買いたいと狙ってる。 だから、彼らはこの界隈に力を持っている政治家に賄賂を払って、ホームレスの給仕施設を、そこの区域を挟み込むように設置したっていう手口さ。 彼らは以前もこれと同じような手口でね、この少し先にあるブロードウエーの教会を$1で買い取ったっていう噂だよ。』 え〜! 1$ですかぁあ!? 『最近ね、ある車の修理屋がブロードウエー周辺の治安悪化に頭を抱えて、この近所に移り住んで来たんだけど、かわいそうにね〜 ここも時期に閉めなきゃならなくなるよ。』 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今回の話で一番驚いたのは、公共事業の動きとはまったく別の市場動向を、投資家達の手で仕掛ける事が出来る事。 この地下げ計画が執行されている期間に物件を買い付け、彼らが治安を回復させるようにコントロールするまで持ちこたえる体力が無ければ、市政がどのように向かっていようと、避けておいた方が良い地域と言う事になります。 |
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2009年5月次点でのカリフォルニア州の失業率が11.5%を記録しました。
7月を迎えようという今でもその状況は一向に好転する気配はありません。 カリフォルニアは世界の中でも最重要経済圏の一つです。 この地での経済の動向は各方面、に影響を及ぼしています。 最近僕が生まれ育った故郷でも、マツダ関連の会社が大掛かりなリストラをせざるおえない状況にあると聞きます。 そんな渦中に真っ先に首を切られるのは外国人労働者。 今や、広島のみならず日本国中に外国人労働者の離職者があふれかえる状況にあると言う話です。 その状況を察知した政府は 『日系離職者支援』 という支援策を持って対処しているという話をこちらのメディアが書いているのを見つけました。 ブラジルから日本にやってきて働いていた日系人に対して帰国の支度金を援助するという内容のものです。 本人には30万円、扶養者には一人頭20万円の援助金が支給されます。 と、ここまで聞けばとても良心的という内容ですが・・・・・・・・・ この給付金を受け取るには、 支援援助を受け帰国した者は、日系人としての在留資格による、再入国は認められない と言う内容の書類にサインしなければならないのです。 どうやら、不景気がどれだけ続くか予測がつか無い状況で、これから先長期に渡って失業手当を外国人労働者に支払い続ける事を懸念しての措置だというのがみえみえです。 彼らは1980年代後半の日本がまだバブル経済で沸き立つ真っ只中に、工場などの労働力不足を補う為に、国が日系人をリクルートするキャンペーンを行って連れて来た人たちです。 中には、日本で生まれ育った子供達も少なくないでしょう。 アメリカではこの国で生まれた人間は自動的に国籍を取得できるのですが、日本ではそうはいきません。 そればかりか、 景気のいい時は 『私達は民族で繋がっているのだから』 と、連れてきておいて 景気が悪くなると、会社からは外国人として真っ先に首を切られた上に 二度と日本へは戻ってくるな! と、言う 今回の日本と言う国が出した 『外国人離職者の支援事業?』 という衣の中に見え隠れする二枚舌政策に海の外の国々はみな感心しない顔で眺めています。 |
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今日は二人の偉大なスターがこの世を去りました。
一人はファラフォーセット。 70年代の人気番組チャーリーズ・エンジェルで視聴者を魅了しセックスシンボルとなった女優さんです。 彼女は2006年から肛門ガンを患い、一月前の5月に闘病生活を撮影したドキュメンタリー「ファラの物語」が放映されたばかりでした。 僕もテレビを視ていたのですが、ファラの気迫がすごかった。 嘔吐をしているファラを撮影するのを辞めたカメラマンに向かって、 『何故撮らないの? これがガンの真実よ!』 ってしかりつけていた。 今月22日に看病を続けていたパートナーのオニール氏からの求婚を受け入れ結婚をする予定になっていた矢先だったそうです。 そしてもう一人は、 ポップ界の帝王 マイケルジャクソン 今朝の3:15分に急性心臓発作だったそうで、自宅からUCLAのメディカルセンターに担ぎ込まれたが、帰らぬ人となったそうです。 享年50歳でした。 11歳のときのジャクソンファイブの一員としてキャリアをスタートさせたマイケル。 ロックの殿堂入りは2回、グラミー賞を13回獲得した彼は7億5000万枚を売り上げ、生涯で5億ドルを稼いだ。 かつてアフリカンアメリカンを出演させなかったMTVで、初めて出演を果たしたマイケルジャクソン 彼を超えるアーティストはいまだかつて出現していない。 今日はどのチャンネルでも二人の死亡報告の話題ばかりです。 お二人のご冥福をお祈り申し上げます。 |
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1957年10月、夜空に打ち上げられたソ連の人類初の人工衛星。 ウエストバージニアの小さな炭鉱町に暮らす人々は夜空を見上げていた。 それは暗い夜空に浮かぶただの動く光でしかなかった・・・・・・・・ 4人の少年達以外には・・・・・・・・ そのあくる朝、まだ高校生だったホーマー少年は家族の朝食の席で 『僕はロケットを作る!』 そう決意した。 何度も何度も、失敗を繰り返し、やっとミニチュアロケットを完成させるまでの彼らの 葛藤、友情、家族愛、恋愛、 廃坑に向かう運命の小さな炭鉱町で、 閉ざされていく夢と希望。 それでも父は、炭坑の行く末を息子に託したかった。 しかし少年は10月の空に見た希望の光を追い求めた。 そして手に入れた栄光と、大学進学へのチケット! 暗闇の中で葛藤している人に、きっと光を当ててくれる傑作です。 何かにロックオンする。 その事がどれほど自分達の生活を生き生きとしたものにすることか! ぜひ、若いうちにこの映画を観て欲しい。 中年になったおじさんおばさんも、日々の平凡で退屈な生活から抜け出すヒントはこの映画の中にあるような気がします。 がんばれ! 世界中のロケットボーイズ!!! October Sky Hey you met your big hero. Didn't even know it. Look, I know you and me don't exactly see eye to eye on certain things. I mean We don't see eye to eye on just about anything. Bud Dad, I come to believe that I got it in me to be some body in this world. A-And it's not because I'm so different from you either. It's 'cause I'm the same. You know, I can be just as hardheaded and just as tough. I only hope I can be as good a man as you are. I mean, sure, Dr. Von Braun's a great scientist, but he isn't my hero. |
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君は日本から来たんだね? 『はい、そうです。』 僕は結構よく日本に行くんだよ。 『そうなんですか、どのような御用で?』 昔はコンペティションダンサーとして国際競技が東京で開催された時には必ずといっていいほど参加していたし、最近ではね、ある商品のマーケティングでかなり頻繁に足を運んでる。 君は聞いた事があるかな? コア・リズム。 『すみません。 よく解らないのですが。』 ビリーズブートキャンプっていうのは聞いた事あるかい? 『ええ、フィットネスプログラムですね。』 そうそう。 その後発でラテンダンスとフィットネスを組み合わせたダンスプログラムを開発して売り出したんだ。 それが、本家本元のアメリカよりも日本で爆発的に火がついちゃってね。 なんて言ったかな〜、いつもプロモーションに起用した日本人のコメディアンの名前を忘れちゃうんだな〜 ああ、そうそう。 "リエ・クワバタ” だった。 それから "Aya・Sugimoto” 最初は本当に無名のプログラムだったけれど、地道なプロモーション活動のおかげでしっかりとした主力商品に育ってくれたよ。 君もチェックしてみて。 『日本市場は人気が出ると本当にものすごい勢いで火がつくんですよ。 皆同じものにはまろうとする傾向が強いですからね。』 そうだね、それはほんとに日本市場でマーケティングをし始めてすぐ感じた事だよ。 だけど、覚めるのも早いって聞くから気をつけないとね。 今の所は大丈夫みたいだけど。 『僕は貴方の商品がすでに売れる市場が整っていたと思いますよ。 だって、2000年頃には日本でラテンダンスブームがあったし、それが下火になってもしっかりとした支持層が残っていたと思います。 でも地方のプロダンサー達は結構ビジネス的には細々としたものになっていたと思うので。 貴方の会社が扱っているようなビジネスチャンスになる商品を皆待っていたのだと思います。』 確かにそんな雰囲気は感じました、しかし、本当に日本はいい国ですね。 『ところで、最近僕の家では "So you think you can dance” を毎週楽しみにして観てるんですが、あのコンペテションで勝ち残って優勝したダンサーは商業的に成功を得ると思われますか?』 いや、結構厳しいですね。 私も以前ダンスコンペティションの世界に身を投じて切磋琢磨した一人ですが、優勝する事で一時的な仕事は舞い込んできます。 しかし、継続して仕事が供給されるほどダンス界はアートとしての商業化が確立していないんだ。 だから、結局ダンス教室でダンスを教えて生計を立てるようになるんだ。 『そうですか、惜しいですねあれほどの才能がありながら・・・・・・・』 ところで、あの番組でジャッジをしているマリーは僕の友達でね、 コア・リズム のアメリカでの広告イメージキャラクターとしてお世話にもなったんだよ。 『僕は彼女のジャッジするときのリアクションがとってもユニークで好きなのですが、彼女は普段でもあのような人なのですが?』 そうだね、もう20年近い付き合いになるけど、普段からあのまんまだよ。 とっても楽しくハートのある人さ。 彼女はね、ラテンダンスとソーシャルダンスの両方で世界チャンピョンのタイトルを持っているんだよ。 『貴方より年上ですよねきっと。』 誰もマリーの本当の年齢なんて知らないさ。 だっていつでも年齢はごまかしてるもん。 ハハハハハ! テーマ=美しいボディラインをゲット! - ジャンル=ヘルス・ダイエット |
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Hi, Folks ! Japanese songs corner again !!! It's so hard to find songs about "father" isn't it? I can only think of few songs. I guess we are not so important compar to Mom. Tha’s why I was kind of upset about it... But...... Once I started to reseach,,, There were more than I expected. " 親父の一番長い日 ” (The longest day of may dad) by Masashi Sada パパのうた (Papa's song) by Kiyoshirou Imawano ダディーズ・シューズ (Daddy’s shoes) by ARB パパ (Papa) by Princess Princess うちのお父さん (My Dad) by Kousetu Minami パパとあなたの影ぼうし (Papa & your Shadow) by Hiromi Ota Today, What I decided to pic is 『父さん』 (Dad) by Chiharu Matsuyama Chiharu Matsuyama's father was owning small news paper company in small town in the northern part of Japan. Management was always financialy tight. His Mom also had to work for part time job and helped to make a living. Back then, It was shame to let wife work out side of house. Eaven though they were living in a small broken shack, his dad had belief. Most of people living thire home town had low education at that time. It might be hard for them to understand difficult Chinese characters. So Chiharu's dad had been providing newspapers written by simple, easy sentences & easy words, so that those low edicated people can figur out what is going on in this world. He tried and tried, and published over 900 issues of news papers. Chiharu respects his dad's life works a lot. We can tell Chiharu's care toward his Dad by listening to this song. ------------------------------------------------------------------------------ I used to play this song with my guiter & sang this song. One time my Dad told to me to sing this song for him, and I did. I couldn't know why he started cry while I was playing this song. Now I know the reason, sice I became father of my daughter. Happy Father's day ! |
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父は時々映画館へ僕を連れて映画を観に行った。 覚えているのは、未知との遭遇 (1977) カリオストロの城 (1979) 二百三高知 (1980) 未知との遭遇を観に行った時、僕は若干9歳 小学校3年生 カリオストロの城が 小学校5年生 二百三高地 は小学校6年生でした。 未知との遭遇で覚えているのは人間がUFOと神秘的な光と音で交信を交わしているシーンで、他の事は何も覚えていません。 カリオストロの城は大好きなルパン三世の映画だったから今でもどんなストーリーだったか売る覚えながら覚えています。 だけど、二百三高地・・・・・・・・・ これは正直言って ????でした。 さだまさしの歌が好きだったからまだ 『防人の歌』が流れていたのを覚えているのと、マイナス40度の厳しい寒さの中、歩兵達が横一列に並んで小便をするのに、先っぽですぐ凍りつく小便が痛くて痛くて、 『チ○チ○が痛い!』 と叫んでいる後姿。 ほんとうに小学生らしいフォーカスポイントです。 まてよ、あれは八甲田山だったか・・・・・・・ う〜んさっぱり二百三高地は覚えてない。 たぶん親父は自分が観たい映画を一緒に観に行ったのかもしれません。 とにもかくにも、戦争映画なんて小学校の子供がピント来るはずが無いから・・・・・・・ でも、その時に親父が日露戦争の時の日本の状況を映画を観た後で教えてくれたのは今でも覚えています。 『ロシアはな、 日本よりもずっとずっとでっかい国でのう 日本にはとうてい勝てる相手じゃなかったんじゃ。 にもかかわらず、世界最強と言われたロシアの艦隊をのう、日本軍が全滅させて勝利したんじゃ。』 もう、これだけで十分ですよね。 男の子を一生走らせる教えは。 いつか機会があれば、再びこの映画を観てみようと思います。 幾たびも大国の侵略に脅かされながら、日本人一人一人が命をかけて戦い守り抜いた。 日本人の気高い誇り 父親はその事を教えてくれました。 今、僕はその列強の国に移り住み暮らしています。 <言葉がろくに話せず、この国での学歴も無く、持っているものはハサミと腕一本。 勝ち目の無い奴が勝利を勝ち取るために必要なのは "大和魂” 僕の戦いはまだまだ続きますが、遠いちっぽけな島にいて、大きな心で見守っていてくださいね親父様。 Happy Father's day ! |
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『こんにちはディームさん。 またサンディエゴ入りですか?』
ああ、いよいよ大詰めになってきてね。 『何があるんですか?』 今週末に主だったビールの流通会社が吸収合併する調印会があるんだ。 『いったどういった顔ぶれなんでしょう?』 Miller に coors, corona Heineken TAKATE Budweiser 関連ディストリビューション を除いて全てさ。 いろんなビールのイメージが書いたトラックが行きかうけれど、ほとんどのトラックに書かれた社名が CREST BEER DISTRIBUTE っていう社名になっているから注意してみてみてよ。 それが私達の会社だから。 『どうしてそんな事が実現したんですか?』 これまでのアメリカでの市場はバドワイザーのシェアが37% もある最強のビールカンパニーだったんだ。 coors が他社に声かけをして、 小さな会社がシェアの奪い合いするより、力を合わせてバドワイザーを叩こうじゃないか! という事になったんだ。 この合併でわが社のシェアは63%もの流通を握ることになる。 『すごい事ですね。』 すごい事だけどタフな部分もあるよ。 この合併での一番の利点は流通に関わるロスを極力減らす事にありました。 出来るだけトラックが空で走る事を無くす事でかなりの経費が削減できます。 しかし、その痛みとしては、沢山のトラックカンパニーが仕事を失う事になったのです。 それから、各社から多くの幹部がレイオフになりました。 この調整に私達はかなり長い時間を費やしました。 それから、新システムの導入。 コンピューターのシステムのチェンジを全ての事業所に行う必要があります。 そして、全ての従業員が新しいべネフィッツにサインする必要もあります。 私達はこの週末までにこれらの事を全て終えなければならないのです。 |
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1971年にニクソン大統領が固定比率によるドルと金の交換を禁止してしまいました。
それによって糸の切れた凧のようになった貨幣価値は、まるで有価証券のようにめまぐるしく変動するとても不安定な代物になってしまいました。 価値の裏付けを失ったお金の価値は、有価証券と同じく証券取引場でその価値が決定されるようになりました。 国際決済通貨であるドルがマネーゲームの道具へと変化していったのです。 一般の人々には不安の種の貨幣の変動も投資化にとっては格好の代物でした。 安いときに買って、高いときに売り利益を得る。 投機マネー の考えがコンピューターとインターネットの発展とともに世界中をシェアに入れながらどんどん進化していきました。 やがて、経済にとてつもない矛盾を生む事になります。 全世界の国が一日に産出する商品・サービスの総額が約836億ドル。それに対して外国為替取引額は一日で1兆8800億ドル、デリバティブ取引をあわせると3兆1000億ドル。 実体経済はマネー経済のわずか2.7%しかない。 これがバブル経済の事実でした。 言い換えれば実体の無い経済だったといえるでしょう。 コンピューターが世界中に張り巡らせるネットの中で、人々の意識がどんどんその数字を膨れ上がらせて行き、無限に膨張する富を得たかのような感覚でした。 しかし、悪夢は繰り返されます。 金本位制の時に起こった 金と貨幣のバランスの不均衡。 為替金本位制で蘇った 金と貨幣バランスの不均衡。 この 投機マネー もまた、多額の実体の無い貨幣を生み出しシステムが崩壊してしまったのです。 1990年代後半に世界各国で金融危機を引き起こし、世界を新たな混乱に陥れていきました。 この投機型の貨幣システムが程よいとこまで上がり、そして程よいところで下げが止まってくれればいいのですが・・・・・・・・ その価値の裏づけとなっていた金と切り離されてしまったために、なかなか思うようにはいきません。 それでも大口の投資家は大量の投資を行う事で、市場の動きを操作しようとしました。 ITバブルに、株式バブル、マイホームバブル、凧の糸が切れてしまった経済を安定成長させるカンフル剤が幾度無く投入され続けました。 全ての満ち引きを経て、やがて人々は気がつきました。 今の世の中に確かな価値など存在しないことを。 2009年の6月現在、ITは安売り戦線、 株価は暴落、マイホームは最高高値時の半分以下に落ち込んでいます。 幾度も繰り返す経済崩壊の根本にあるのは、何千年もの昔に生み出された 『実態の無い金』 を操る "利息”の考え方が根底にあります。 利息は世の中に存在する金の保有量に関係無く膨れ上がっていきました。 僕達人類は中世の金細工師が食べた禁断の果実の呪縛に21世紀の現在において翻弄され続けているのです。 宇宙空間が限りなく広がり続けるように、お金もどんどん膨れ上がる事を望んだ資本主義の、現実をはるかに超えたマネーゲームが行き着く先はやはり新たな崩壊を何度も繰り返すのみのような気がしてなりません。 ひょっとすると、これからの人生をうまく生き抜く方法や、地球の将来の為、人類の為にあるべき形が見直される時期に来ているのでしょう。 まずは自分の生活だけでも実態とマネーの均衡を保つ努力をする事にしよう。 <<金本位の崩壊とニクソンショック |
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金細工師が預かった金を担保に金を貸し出したのがきっかけで金融機関が誕生しました。
しかし、ここで少し考えてみてください。 金庫の中の金は金細工師の所有物ではありません。 自分の所有物でないものを貸し出す事は横領罪に等しい行為ですが、その事は一般には秘密裏にされていました。 いずれにしても、これまでの取引の中で金庫の中にある金塊の数は基本的に変化がありません。 このシステムの中で市場に流通ているのは紙幣と呼ばれる預り証と借用書のみで、預かり証に対しては手数料を徴収し、借用書に対しては利息を納めさせる。 どちらにしてもいつかこの取引で銀行側が要請すれば手数料と利子分の金をどこからか持ってきて埋め合わせる責務が生じる取引なのです。 でもそんな金は何処にも存在しないので、紙切れ上だけの取引で数字が膨れ上がっていました。 つまり、膨れ上がる利子のために金と貨幣の均衡が保てなくなるのは時間の問題だったのです。 1929年の世界大恐慌で銀行券の信用を疑った預金者が金での引き出しを要求した時に、この根本的な欠陥が浮き彫りになり 金本位制は崩壊しました。 ゴールドラッシュを経て、戦勝国となったアメリカは巨大国家に成長しました。 戦後、アメリカには全世界の70%、約22000t(全盛期の英国でさえ1000tといわれる)もの金が集まっていた事が決め手となり、ブレトン・ウッズ会議で「米ドルのみが金と交換可能で、他国のお金は米ドルと交換できる」という 金為替本位制 がとられることになります。 しかし、アメリカの国富に依存するこの制度も長くは続きませんでした。 米国は1960年代にベトナム戦争での大量支出や、対外的な軍事力増強などを行った結果、大幅な財政赤字を抱えることになり、国際収支が悪化して、大量のドルが海外に流出してしまいました。 その穴埋めに自国の金保有量をはるかに超えた多額の紙幣を発行したため、ドルは金との交換を保障できなくなってしまいました。 1972年にニクソン大統領はドルと金の交換を停止してしまいました。これを ニクソンショック といいます。 これまで希少価値が価値を決定していた世界の通貨システムが一転して、 お金の裏付けとなるものが何もなくなったのす。 しかも本来、「財政赤字とインフレと貿易赤字」という不均衡を解消する合理的手段は財政赤字の削減であったにも関わらずニクソン大統領がとった政策はドル安でした。 変動性の高い貨幣政策に加え、致命的な失策 これを引き金にアメリカは長い景気低迷の一途を辿る事になります。 金本位制と銀行の誕生<< >>投機マネーとバブル経済の崩壊 |
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やがて希少価値の最も高い金が貨幣の中で一番高価なものと位置づけられました。
人々は金貨を自宅に置く事に不安を覚え、やがて金細工師の中から自分達の持っている金庫を一般に貸し出す者が現れました。 彼らは金を預かり、預り証を発行し、保管のための手数料を受け取ったのでした。 人々は金が必要になったとき、預り証を持って金細工師のとことへ行き金を引き出し、買い物をし、売り手はそうして手に入れた金を再び金細工師のとことへ預けに行きました。 それならば預り証を直接代価として渡せば事足りる という事になってその金の預り証が紙幣のような働きを始めたのが 兌換紙幣の起源であり 金本位制 の幕開けでもありました。 さあ、そうなると預り証はあちらこちらに動き回るけれども金は金細工師の金庫の中に眠ったまま。 金細工師の中にはその金を担保に紙幣を発行し貸し出す事で利益を得るものが出てきます。 こうして13世紀のイタリアで近代式銀行業が始まりました。 この次点でお金の発行に関わる権限が民間へと移行したのです。 お金の歴史と貨幣発行権の集中<< >>金本位制の崩壊とニクソンショック |
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遠い遠い昔の事。 人は自分達が生産した物資を物物交換し始めました。 やがて、交換条件を整える為に誰もが必要とする家畜、塩、砂糖、穀物などの生活必需品が全ての物資の価値を仲介する交換対象となっていきました。それが 商品貨幣 といいます。 商品貨幣には腐食や劣化等の致命的な欠点がありました。 やがて腐らず、その希少価値のある貝や石が物資との代価となり。 貝殻貨幣の時代がやってきました。 "財” "買” "購” "貨” などのお金の存在に関わる言語に ”貝” が使われるようになった所以でもあります。 紀元前3500年頃メソポタミアの時代に生まれた金属の鋳造技術はゆっくりと発展していき、 最古の鋳造貨幣が紀元前7世紀にリディア王国で作られました。 その後は、金、銀、銅 等の 金属貨幣 が貨幣の役割を果たすようになります。 当時の貨幣は貴金属の純度がまちまちであったため、取引のたびにその純度を測る必要性がありました。 毎回毎回、金貨の純度を測る作業を省くには、貨幣の鋳造状態の統一を図る必要が出てきました。 そのために国王等の最高権力者が貨幣の発行に関わる全てを取り仕切り、誰もが勝手に造幣できないシステムが作られました。 これを貨幣発行権の集中と言います。 >>金本位制と銀行の誕生 |
![]() 発行貨幣は有限、しかるに利息は無限に膨れていきます。 ではこの利息というものの実体はなんなのでしょう? 宇宙空間は限りなく広がり続けています それはそれで人類の最大の関心ごとの一つかもしれません。 地球上に暮らす生物にとって 宇宙が無限に広がる事よりも 利息が無限に広がることの方が大問題なのかもしれません。 なぜなら、飽和状態になった利息を決済する為の資源はやがて尽きてしまうからです。 >>シリーズお金の歴史 |
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パーソナルフィジカルトレーナーを始めたきっかけは?
『もう、そうね〜20年以上前の事だけどエアロビックスのトレーナーになったのがきっかけよ。』 80年代ですね〜 『そうそう、あの頃流行ってやつ。 息子が生まれた時にね、 仕事を辞めて彼を自分の手で育てたい。 ってそう思ったの。 それまで勤めていた銀行を辞めてね、子育てに専念したわ。 お金は大変だった。 今まで共働きだったのが急にシングルインカムになっちゃうんだから。 でもね、何とかなるものね・・・・・・・・・ 生活費を切り詰めながらも息子との二人の生活をとてもエンジョイしたわ。 娘が生まれる前ぐらいにね、グループでエアロビックスを教えてる女性と出会ったの。 それがきっかけで、週3日一日に2時間ぐらいのペースでエアーロビックスに出かけ、やがて自分が教えるようになった。 娘が生まれてからは教室に彼女を連れて行って同じように子育て中のお母様方を対象に教室を開いたのよ。 そしたらね、子育てをしながら銀行で働いていた時と同じくらいの収入があっという間に得られるようになったの。 それから現在に至るって訳。 人生なんて本当に解らないものね。 当時を振り返って今思うことは、 頭に思い描いた事が叶ったって事。 自分の手で子育てをしたい。 そのうえで夫に頼りきらずにに自力で生計を立てたい。 人間の “思い” の中には何かしら不思議な力が存在してるのねきっと。。。。。。 |
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感動しました。 これは今、アメリカで注目を集めているDanceのオーディション番組 『 So you think you can dance』 のオーディションからのカットアウト。 去年の Season 4に出場し、惜しくも決勝に勝ちあがれなかったこの二人、Natalie Reid と Brandon Bryant のseason 5 オーディション風景です。 何度視ても感動で震えが止まりません。 もちろん僕はダンスの事なんてサッパリ解らないので、残念ながらこのコンテンポラリーダンスに対して鳥肌が立ったというのではありません。 クオリティーの高いパフォーマンスだったのだろう? というくらいは感じ取れますが・・・・・・・・ それよりも何よりも、審査員のマリーのコメントに感動してしまい、一緒に涙してしまったのです。 Nigel : Ah mary, what are you gonna say to this young man? ナイジョウ : マリーこの若者に何を言いたいですか? Mary: I have to say that I have the greatest job in a whole world. マリー: 私は私が世界中で一すばらしい仕事についると言わなければなりません。 To be able to sit there some day witness something like that. そこに座って、いつ日か、このようなものを目撃出来た事 Something that I can never do for million years, Thank you. このような私が何億年かけてもできない事を、 ありがとう。 It's so fabulous to see the technique artistry. Use of stage everything we ask somebody intend, comitment. It's just fabulous. テクニックといい、芸術性といい、ほんとうにすばらしい。 ステージの使い方や全ての私達が誰かに要求する手足を伸ばす時の約束事・・・・・・ ただ、ただ、すばらしいとしか言いようが無いわ。 You are the type of person who can touches millions of people in just a few short move. You just got it. If you don't make it to the top 20, I think I'll retire this year. 貴方はほんの少しのムーブメントで何億をもの人の心を感動させる事ができる人だと思います。 そう、貴方にはもうその能力が備わっているの。 もし貴方が今回トップ20に入らなかったとしたら、私は今年でこの番組を降りるわ。 この番組の審査員のマリーは、LAとサンディエゴでダンススタジオを経営するダンスの先生です。 平生は下手くそなダンスを見るたびにケチョンケチョンに切り捨てているのに、この二人のダンスを見た後の彼女はまるで別人のようになってしまって、感動で涙ながらのコメント。 いや〜 人を育成する人の魂を見ました。 極み尽くし意識のステージを高めた人間だけが目撃する超次元の技 そしてその一つ一つに注ぎ込まれる 『愛』 美しい。 もう、美しいとしか言いようがありません。 マリーのこのダンスにかける精神に本物の称号を与えたいと思います。 |
![]() メモリアルデーはオレンジカウンティーにある Orange County Fair Ground に行ってきました。 コスタメサにある競馬場で、ここでは毎週の土日にフリーマーケットが開かれるので有名です。 フリーマーケット? 普通の事じゃん? そう思う方も沢山いらっしゃるでしょう・・・・・・・ 入り口で一人$2入場料を払います。 そこで売られているものを見て見ましょう! すいか丸々一個が1ドル99セント ![]() メロンが99セント ![]() 大粒イチゴがこんなに沢山入って5ドル99セント ![]() でもここまでは普通にファーマーズマーケットに行けば買えちゃいます。 200ドルでおつりが返ってくるサーフボード。 ![]() これまた200ドルから買えるカヤック ![]() 激安 アルミホイール ![]() 確かポルシェのアルミホイールが4つセットで1000ドルぐらいだった。 ![]() なんと BMWが $10,800 で! ![]() キャンピングカー まるでシングルベッドルームの家です。 こいつはかなり値が張りました。 $140,000 な〜り〜 お〜滝 一戸建て庭付きを持てたなら欲しくなりそうな代物です。 ![]() 極めつけはコレ。 ![]() トレーラーホーム $120,000 な〜り〜〜〜〜〜 その他にも アフリカ民芸美術や ![]() 映画のポスター ![]() ミリタリーグッズ ![]() オサレな自転車 ![]() もうきりが無いからコレでやめます。 とにかくものすごい品揃えでした。 歩きつかれてヘトヘトです。 でも、USED狙いの方は OCマーケットでは目的が達成できません。 ここで取り扱っているのはすべて新品のものばかりでした。 |
![]() 今やコーヒーと言えばスタバというくらい世界各国にチェーン店を展開するスターバックスでさへ、イーストコーストでの勢力争いでは、まだ崩しきれない宿敵がいる。 その名を DUNKIN' DONUTS 1948年創業より61年。 これはもう伝統の底力で揺るがないイーストコーストコーヒーショップ陣営を築き上げている。 ダンキンドーナッツの創業者ウイリアム(ビル)・ローゼンバーグがこのドーナツ&コーヒーのネットワークを築き上げる以前まだトラックで営業をしているときに、類まれな 悪知恵?を発揮している。 1946年にクィンシーの工場労働者のためにトラックでサンドイッチなどの販売をはじめたが、当時 当時のコーヒーショップの通常のポーションと一カップ毎の値段 5oz. で ¢5 ウイリアムはどうしてもこの中で抜きに出る売り上げを作りたかった。 そこで、考えた。 そうだ! あいつらが 5oz. で¢5なら 俺は 10 oz. を ¢6で売ろう! もちろん最高の品質のコーヒーで勝負だ! 倍のボリューム と 最高の品質でたった ¢1 の違い。 ウイリアムの思惑は消費者に大変喜ばれ、彼のコーヒーは飛ぶように売れて、シェアをどんどん拡大して行きました。 周囲の同業者が気がつき始めた頃には時遅し。 ドーナッツとコーヒーの食べ合わせの良さに気がついたウイリアムがダンキンドーーナッツを創業する頃には、良質のコーヒー豆の大量仕入れルートを独占し、イーストコースト全域に広がりつつあったダンキンドーナッツは、もう自らの思うままに出来るくらいの独占市場状態を築きあげていた。 もともと、彼の高級コーヒー豆の原価から10oz.のサイズで販売する営業体制はかなり原価が利益を圧迫していた。 シェアを独占し始めた頃から、序所に彼はカップのサイズを小さくしていき最終的には 5oz. が ¢6 という内容に切り替えた。 この後もっと利益を上げる事が出来るようになったダンキンソーナッツはその勢力をさらに拡大して行ったのでした。 スタバのグランデが16oz. だから今から考えるととても小さなカップで販売していたものだ・・・・・・・・ ちなみにスタバの勢力拡大のキーポイントになったのは紙コップ販売だそうです。 チェーン店にオリジナルロゴ入り紙コップを高く買い取らせる事で組織展開の軍資金を得て拡大していったというのが彼らの悪知恵。 皆色々考えてますね〜 そのスタバも伝統には勝てないというのだから、長く続ける事の意味は深いな〜ってつくづく思います。 テーマ=ビジネスに必要な心理学 - ジャンル=ビジネス |
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今年も幕を閉じました、American Idol Final !!! 思い起こせば4年前の2005年5月21日! 初めてアメリカの地を踏んだその直後に視たTV番組が、American Idol 4th シーズン の決勝で Carrie Underwood 勝利の瞬間でした。 それからというもの僕にとってこの番組は 『行く年来る年』 のようなもの毎年欠かさず視ています。 9回目を数えるAmerican Idol 2009。 今年のフィナーレを飾ったのは Kris Allen そしてわれ等がサンディゴのヒーロー Adam lambert。 お知り合いの同僚の息子さんという事でかなり応援してました。 残念ながらKris Allen に敗れてしまいましたが、きっと彼はこの後何かをやらかす事でしょう。 去年の決勝近くまでいった Carly Smithson は僕が働いている美容院のお隣のTatoo Shop 経営者の奥さんなので今でもよく見かけます。 サンディエゴからこうやって有名人が輩出されるのは本当に嬉しい事です。 もしかしたらここはハリウッドに一番近い街なのかもしれませんね。 American Idol が終わるたびに、なんだか新しい年が来たようで。。。。 密かに心の中で 『明けましておめでとう。』 って毎回呟いてます。 テーマ=YouTube Music Video - ジャンル=音楽 |
![]() 先日お店のスタッフの義理の弟が率いるバンドRED FLAGのコンサートを House Of Bluse に観に行った。 80年代は あのDepeche Mode's に匹敵するぐらいの人気を履くし、US Billboard Hot Dance Music/Club Play chartsでは "Russian Radio" (11位) そして "If I Ever" (12位)まで浮上し、特に彼らの代表作である Russian Radio はMTVで120分も放送された。 2003年の4月 兄のMark Reynolds が自殺。 そう、うちのスタッフのだんなさんの事です。 失意の Chris Reynolds はしばらく タイ に渡り暮らしたといいます。 全てを整理して復帰を誓ったChrisは2007年から活動を開始。 精力的に新曲を書き続けている。 そんな折の突然のお誘いに、彼らのコンサートへ行く事になりました。 現在のChrisは Red Flag のみの活動では食っていけないので、サンディエゴのダウンタウンの5番街にあるレストランでピアノの演奏をして生計を立てているそうです。 『なあ! 盛り上がろうぜ! 俺ももう年を取っていく一方だからな、 今のうちに音楽で最高に楽しんでおきたいんだ!』 『これは兄貴と俺が作ってネイションヒットさせたRussian Radioって曲さ!カッコいいだろう?』 彼は競争の激しい音楽業界で自分が今どの位置にいるか、かつてどの位置にいたのか・・・・・・・・ それを知った上でステージに立っている。 『なあ、この中で兄貴を個人的に知っていた奴はどれくらいいるのかな?』 クリスはまるで、一つ一つの歌を兄のマークに捧げるレクイエムのように力強くそして情感を込めて歌っていた。 栄枯盛衰がこれほどさわやかなものだとは気づかないでいた。 衰えるものは皆 『哀れ』 とさへ思っていた・・・・・・・・ だけど、頂点を極めた者がたとえ衰えたとしても本物に仕上げるまでの間研ぎ澄ました感性が消しゴムのかすのように削れて無くなっていくものでは無いことを、彼の演奏の中に見出していたからだ。 ステージを終えて、僕達の元へやってきたクリスと握手を交わしながら 後何十年後、衰えがさわやかな、そんな男になっていたい。 心の中でそう願っていた。 |
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最近お店のカラーリストと意見が合わなくてもめた一件があった。
客数が増えてきて時々一時間枠に二人とかをスケジュールする必要が出てきたので、今年に入ってから、シャンプー ・ カット ・ ブロー 45分 スケジュールで稼動させる事にしました。 日本にいたときもだいたいそれぐらいのタイム設定でやっていたのでお客様が遅れて来たり、カラーリストのスケジュールが押さないかぎりはそれほど問題は無いのですか。 やっぱり現実問題もろもろの理由でスケジュールが狂ったりします。 アシスタントのいない僕達のお店では、カラーリストが空きいている場合、手伝ってもらう事になっています。 しかし・・・・・・・ 『ブローをお願い』 と言うと決まって 『coolcuts !!! あたしがシャンプーするからブローは貴方がしなさい。』 とブローをしたがらない。 よくかけても10分以内で終わってしまうシャンプーを手伝ってもらっても、ブローとチェックカットをしている間にそのお客様を待たせてしまう。 シャンプーを僕がやってカットをするとかなりの確立で次のお客様のブローが終わる時間に間に合わせる事ができるし、僕がチェックカットをしている間、先ほどカットを終えたお客様をブローしてもらえるので、タイミングもとてもいい。 そう説明しても断固として譲らない。 彼女の言い分はこういうことだった。 『お客様は$53を支払って貴方のシャンプー、カットとブロー、フルサービスを買いに来ているのよ。 それなのに貴方は、いつもブロー人に任せて、次の人のカットに行こうとする。 お客様にとってそれはフェアーじゃないと思うのよ。』 喉からでかかった言葉を引っ込めた (君達がオンタイムで顧客を仕上げてくれたらそんなことは少なくてすむんだよ・・・・・・・) 『シャンプーは誰でもできる仕事よ。 シャンプーなら人に任せてもいいけれど、ブローはダメ。 スタイリストとして自分がやるべきなのよ。』 『でも、シャンプー時間はカット時間をプロデュースしてくれないんだ。 ダウンタウンでは待たせれば待たせるほど、駐車場代が加算されるだろう? 早く帰してあげたいんだ。』 そんな問答がしばらく続いても、意見は平行線だった。 『これはまた今度、コミュニティーの問題だから皆で話しいましょう!』 『いいよ、でもそれまでの間お客様の目の前でこの問答をするのはやめようよ。 恥ずかしいから』 彼女は腑に落ちないという顔で去っていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しばらく一人で考えていた、、、、、 何故こんな当たり前のような事が理解してもらえないんだろう? 自分が日本から来た外国人だということを忘れていた。 こちらでは基本的に自分がシャンプーをして自分がカットをし、ブロードライまで担当するという事が通常の形になっている。 方や、日本ではアシスタントがシャンプーをしてくれて、自分はカットをするだけで、ブロードライまで手伝ってもらうなんてことは日常茶飯事だったから、 根本的にサービスのストラクチャーが違うのです。 しばらくして、彼女のところへ行って、僕はこう言った。 『郷に入らずんば郷に従えでとりあえず君の言っている内容でやってみよう。 それで出てくる結果で再検討してみる事にするよ。』 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今回の一件は本当に勉強になった。 アメリカに来ていながら、いつもいつも日本のやり方のほうが正しいと思いがちな、島国根性が抜けない僕。 もしかしたら実際この一件、僕が正しいのかもしれないけれど、色々な考え方が存在するアメリカで、その考えだけが正しいと単純に決め付けるのは難しい。 両者とも顧客の事を思いやり、彼らの気持ちを考えたうえで発している意見なのだから。 シャンプーという技術に対しての認識もぜんぜん違う。 彼らは口々に、『シャンプーは誰でもできる仕事なんだから。 でもブローは違う。 貴方はスタイリストなのよ、私達よりぜんぜん上手にブローをするわ。』 と言う もちろん僕が間違っているとはさらさら思ってはいないが この歳にして、ほんとうの意味で 『まずは、言われるようにやってみよう。 それで考えよう!』 という感覚を受け入れた気がした。 |
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思い出します。
自転車の車輪がからからと鳴る音 貴方の髪の毛が僕の額に当たってくすぐったかった 補助いすにくくりつけられても ドタバタと足と動かし 上半身はのけぞったりうつむいたり まるで貴方のひとこぎのタイミングに合わせるかのように ブンブン頭を振り回した。 それはもうずいぶんと遠い昔の話 ひとこぎ、またひとこぎ 坂道は立ち上がって全力でペダルを踏んだ貴方の その道のりの険しさや 砂利道の不安定さなんて 何も知らないで過ごした子供の頃の僕 あやまって車輪に足を挟んでしまった時 泣きじゃくる僕を本当に心配した顔で、大げさに 『大丈夫ね〜?』 と、心配してくれましたね。 当たり前の事のように受け止めていた事が・・・・・・・ 他人をわが身のように思いやる事がどれほど難しい事かを知った今 あの時の貴方の気持ちに初めてありがたみを感じます。 何よりも今、大人になって世間の荒波にもまれると あなたのひとこぎひとこぎに感謝の気持ちが沸いてきます。 それもこれも僕が誰かの親になった事の証でしょうか。。。。。 Happy Mother's Day テーマ=ありがと(●´∪`人).+☆” - ジャンル=ライフ |
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Happy Mother's day Folks ! Here is one of most populer songs about Mother in Japan. "無縁坂” 【A slope with no relationship bond】 written by Masashi Sada ----------------------------------------------------------------------------- 縁 (Enn) To figured out meaning of this song, I must talk about "縁(enn)". Originaly Enn came from Buddhism term. 『A lost soul is beyond redemption.』 Means , even Buddha can not save you if you don't have belief in yourself. In real life, we often use this word for describing the relationship in between people. Like "chemistry" in between a person and anoter person. If we continue our relationship since we've first met, We would say that We had an "Enn". If not , We didn't have it. There must be some ”Enn” to meet with someboday and get closer on this earth. We always want to have good relationship. Thats why we would try to take "enn " realy serious. ----------------------------------------------------------------------------- 無縁坂 (Muenzaka) Let’s talk about "Muennzaka" Title of this song ”無縁坂” is the slope which is realy exsisting in Tokyo Japan. There used to be "無縁寺”(A lost soul temple) on the hill. Inclination of slope isn't so sharp. but, in this song、 Mom is taking son's hand and sighs deeply every time she goes up this slope. This line is describing that there are something she feels uncomfortable on top of the hill. There might be someone who she can't get along with was living out there. Nobody Knows what exactry is, but har "sighs" are representing her hadship. I think Ordinary people's life have got not so much up or down. Although, We still worry, and feel sorrow. The artist wanted to assimilate life to this gradual narrow slpoe. Then, I want to question it. What exactly is luck or unluck in this case? I thought it's about updown in our life. But This lady is even feeling unlucky in this gradual slope. "Sigh" comes from inside of your mind. Toughness also might be held in you. And when you exhale,,,,,,,,,,, People can see it in your sigh. I personaly think that I souldn't sigh too much everytime I listen to this song............. Mother of Masashi Sada put so much effort in to make him become firstclass violinist. That might be why her life was tough even if her own life was not so exiting. Beacuse Creature like Mom are funny, They always willing to take responsibilitys of their own kids toughness. Happy Mother's day ! |



























